■ 熊野の歌 |
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◆ 後拾遺和歌集 |
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『後拾遺和歌集』は、第4番目の勅撰和歌集です。 1.藤原兼家の策謀により19歳の若さで出家させられ、帝位を追われた花山法皇が熊野に向かった道中に詠んだ歌。
(巻第九 羇旅 503)
2.懐円法師(かいえんほうし、生没年未詳)が熊野詣の道中に詠んだ歌。
(巻第九 羇旅 504)
3.少輔(しょうゆう、生没年未詳、藤原兼房の娘)が熊野詣の道中に詠んだ歌。
(巻第九 羇旅 505)
4.源信宗(のぶむね、?〜1097)が熊野詣の道中、難波で、亡き父・小一条院(三条天皇第一皇子)を偲んで詠んだ歌。
(巻第十 哀傷 595)
5.中古三十六歌仙のひとり、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり、974〜1020)が熊野へ参るときに親しい知人に送ったと思われる歌。
(巻第十五 雑一 885)
「み熊野の浦の浜木綿」は「かさねん」を起こす序詞として用いられていますが、この勅撰集の序にも「み熊野の浦の浜木綿世を重ね」という表現があります。 6.花山院殿上法師と見られる兼経法師(けんけいほうし、生没年未詳、伝不詳)が花山院の御供をして熊野詣の道中、住吉にて詠んだ歌。
(巻第十八 雑四 1064)
7.中古三十六歌仙のひとり、増基法師(ぞうきほうし、生没年未詳)が熊野詣の道中、住吉にて詠んだ歌。
(第十八 雑四 1068)
8.道命阿闍梨の2首め。
(巻第十八 雑四 1075)
錦の浦は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の丹敷浦(那智浦ともいう)。錦の浦を錦衣を見立てて詠んだ歌です。 9.増基法師、2首め。
(第十八 雑四 1076)
燕丹子や事文類聚に見える烏の頭白く馬角を生ずる故事(秦の始皇帝が燕の太子丹を人質とし、カラスの頭が白くなり、馬に角が生えたら、故国に帰してやろうと言ったが、その通りのありえないはずのことが起こり、やむなく燕丹を故国に帰した)を踏まえての歌。 『後拾遺和歌集』から見つけられた熊野関連の歌は以上の8首。もしかしたら見落としがあるのかもしれませんので、もし他にありましたら、メールや掲示板にてお知らせください。 (てつ) 2003.4.16 UP ◆ 参考文献
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