■ 熊野の説話

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◆ 三十三間堂棟木の由来


 京都東山、蓮華王院。三十三間堂の名で知られるこの仏堂は、後白河上皇(在院期間中、34回と最多の熊野御幸をした上皇)が1164年、自らの離宮・法住寺殿の敷地内に一宇の仏堂を建立し、1001体の千手観音像を安置したのを始まりとします。 造営には平清盛が当たり、この功により清盛は播磨守となりました。

 俗に三十三間堂と称しますが、それは、本堂の内陣の柱間が33あることによるもので、また33という数字は観音菩薩が33もの姿に身を変えて人を救うという信仰によるものだということです。

 この三十三間堂で、「柳のお加持」という法要が行われています。正月に汲んだ初水を霊木とされる柳の枝で参拝者にそそいで加持する頭痛封じの法要です。
 この法要は後白河上皇の頭痛平癒にあやかったものなのですが、ここにも熊野が絡んできます。

 後白河上皇は頭痛に悩まされていた。そこで熊野で祈願したところ、お告げがあった。
 「上皇の前世は熊野にあった蓮華坊という僧侶であった。仏道修行の功徳によって今世、天子の位につかれるくらい高貴の方に生まれてきたが、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいる。その髑髏を貫いて柳の木が生えていて、風が吹くと柳の木が揺れて髑髏に触れ、上皇の頭が痛むのだ」という。
 そこで、川を調べさせたところ、髑髏が見つかり、その髑髏を三十三間堂の千手観音の1体の尊像に塗り込め、さらにその柳の木を伐って、京へ運び、三十三間堂の梁に使ったところ、上皇の頭痛は平癒したという。蓮華王院の名は前世の蓮華坊の名をとって付けられた。

 岩田川。今の富田(とんだ)川の滝尻(和歌山県西牟婁郡中辺路町)辺りから下流は岩田川と呼ばれ、熊野詣の重要な垢離場(こりば)のひとつでした。この川を1度でも渡れば、今までの罪業がことごとく消えると信じられていた聖なる川。この川を徒渉し、滝尻王子に参拝。京から熊野を目指して歩いて きた人々にとって、滝尻からが熊野の霊域の始まりでした。

 仏教では柳は一切樹木の王、仏に供える最高の聖木とされているそうですが、実際、柳には鎮痛作用があり、解熱鎮痛薬であるアスピリンは柳から作られたものなのだそうです。

 三重県南牟婁郡紀和町楊枝に楊枝薬師堂という小さなお堂がありますが、そこにはこんな伝説が。

 昔、この地に60余丈(1丈は約3m)の柳の巨樹があった。頭痛に悩まされていた後白河上皇は頭痛平癒を願い、京に三十三間堂を建立することになったが、長さ100mをこえる棟木が必要であった。そこで、楊枝の里の柳の巨樹が伐り出されることとなった。この柳を伐って、京へ運び、三十三間堂の棟木に使ったところ、上皇の頭痛は平癒したという。
 後白河上皇は、その柳の伐り跡の上に七堂伽藍八房十二院の大寺を建て、自ら刻んだ薬師如来を安置し、「頭痛山平癒寺」と名付けた。これが楊枝薬師堂の前身である。

 寺は幾度かの火災や水害で失われてしまい、現在は楊枝薬師堂の一宇があるのみですが、本尊薬師如来は創建当時のものを伝えているそうで、頭の病気に霊験があるとされています。

 この三十三間堂の棟木の伝説は、さまざまに脚色され、美しくも悲しい物語となりました。

 悪人達の讒言により命を落とした横曾根光当(よこそねみつまさ)の子、平太郎は、母とともに京から熊野の楊枝の里に落ちのび、二人、侘びしい暮らしを続けていた。
 楊枝の里の柳の巨樹の下で騒ぎが起こった。狩りに来た武士の放った鷹が柳の高い梢に足緒をからめて動けなくなってしまったのである。主の武士は、家来に命じて助けようとしたが、その柳の木は あまりにも高く、誰にも登ることができない。主は怒って、その柳の木を伐ってしまうよう命じた。
 そんなとき、平太郎がそこを通りかかった。平太郎は武士から弓矢を借りると、梢めがけて射放った。矢は枝にからまっている 足緒に見事、命中。鷹は無事に柳の枝から逃れることができ、柳の木も伐れられずに済んだ。

 その数日後、平太郎は柳の巨樹の下で一人の美しい娘に出会う。娘の名はお柳。やがて二人は夫婦となる。二人の間には男の子が生まれ、緑丸(みどりまる)と名付けられる。平太郎は、美しい妻と愛らしい子、そして老母との4人で、貧しいけれども、幸せな日々を送った。
 それから何年かのちのこと。後白河法皇の発願で京に三十三間堂を建てることになり、その棟木に楊枝の里の柳の巨樹が使われることになった。
 柳の木が伐られる当日の早朝、夜が白みはじめたころ、まだ平太郎も老母も緑丸も眠っており、起きているのはお柳だけであった。お柳は、突然の激痛に呻いた。

 お柳は、平太郎に命を救われたその柳の巨樹の精であったのだ。
 お柳は、我が身に打ち込まれる斧の激痛に呻き、よろめきながら、眠っている平太郎や緑丸らに我が身の上を語り、別れを告げた。
 夢うつつにお柳の末期の声を聞いた平太郎と老母は、すぐに目覚め、お柳のあとを追おうとしたが、路上には柳の葉が舞い散っているばかりである。緑丸は母の姿を求めて泣く。柳の巨樹は伐り倒されてしまった。

 柳の木は新宮の浜まで運ばれることになった。ところが、平太郎の家の前まで来たとき、動きが止まってしまう。大勢の人がどんなに力一杯、押しても引いても、柳 の木は全く動かない。
 そのとき、緑丸を連れた平太郎がやってきて、お柳の次第を役人に打ち明ける。この柳の木が自分の妻で、緑丸の母親であること、母子の情断ち切り難く、別れを惜しんでいること。

 平太郎は、緑丸に音度を取らせて、自分達に木を引かせてもらえるように申し出た。緑丸を柳の木にまたがせ、音頭を取らせて引くと、今までビクともしなかった柳の木は緑丸を乗せて滑るように進んだ。
 こうして、平太郎・緑丸の親子の手により、柳の木は無事に運ばれ、三十三間堂も立派に完成したのであった。

 人間と人間以外のものとの婚姻譚は、人間と動物とが結婚する話がほとんどのようです。人間と植物とが結婚をする話はあまり耳にしません。

 動物との結婚は、動物の側が人間にその本当の姿を見られてしまうことにより破綻してしまうことが多いようですが、植物との結婚は、植物が枯れてしまう、あるいは、伐られてしまうことにより悲劇を迎えてしまうことが多いようです。

 熊野からは遠く離れますが、山形に伝わる阿古耶姫(あこやひめ)の伝説も悲しいです。

 左遷されて出羽(今の山形県)の領主になった藤原豊成に、阿古耶姫という美しい娘がおり、琴の名手であった。
 ある夜、姫が琴を奏でていると、どこからか若者が現われ、柴垣越しに、琴の調べにあわせて笛を吹いた。
 笛の主は、名取左衛門太郎と名乗り、姫の琴の音にひかれてやってきたことを告げた。
 それからというもの、夜毎、姫と若者は調べを重ね、互いに好きあう仲となった。
 ところが、ある夜、若者は、自分の正体が出羽国の千歳山(ちとせやま)に根をはる老松であることを明かし、阿古耶姫に別れを告げて消え去る。

 さて、おりしも、陸奥の国名取(今の宮城県名取市)では名取川が大雨で氾濫し、大橋が流されてしまい、土地の人々は困っていた。村人が占いをたてると、「千歳山の老松を伐って、橋にしたらよい」とのこと。
 さっそく、木こりを頼み、老松を伐りにかかった。1日で伐り倒せず、次の日に来てみると、元の通り塞がっていた。伐っても伐れない木に困り、また村人が占いをたてると、「切りくずを焼きながら伐ればよい」とのこと。そのようにしてついに伐り倒すことができた。
 しかし、この木を運び出す段になり、多くの人々が縄を掛けて引いたが、びくともしない。

 阿古耶姫はこれを聞き、いたく嘆いたが、千歳山に向かった。
 伐り倒された老松を見て、姫の目から涙があふれた。姫が松にかけた引き綱に手をかけると、今までビクともしなかった松が、まるで水に浮く舟のようにするすると動き出した。こうして松は、峠を越え、名取川まで運ばれて、橋になったのであった。

 姫は、松の霊を弔うため、千歳山の麓に庵を建てた。これを万松寺(ばんしょうじ)といい、その後、姫が植えた若松は千歳山全体をおおい、見事な緑をなすようになった。

 もっと遠く離れて、タイにはバナナの精と結婚した男の話があります。

 バナナの精は、優しく美しい女性であると伝えられている。
 そのため、若者がバナナの精を妻にしたいと思った。彼は知恵のある老人にバナナの精を呼び出す方法を教わり、幾本かのバナナの木を植えた。そして毎晩、バナナの木のもとに行き、一生懸命、バナナの木を抱いた。
 バナナの精はなかなか現われなかったが、とうとう1本の木から女が現われた。若者は彼女と結婚し、幸せな日々を送った。
 しかし、時が経ち、バナナの木が枯れていくとともに彼女は衰弱し、木が倒れたとき、彼女も死んだ。
 男は悲しみのあまり、出家し、二度と女性を愛することはなかった。

 お柳に先立たれた夫も、出家し、それからの人生をお柳の供養に捧げたと語られます。悲しい物語ですね。

(てつ)

 ◆ 参考文献

くまの文庫2『熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会
駒敏郎・花岡大学『日本の伝説32 伊勢・志摩の伝説』角川書店
中村浩・神坂次郎・松原右樹『日本の伝説39 紀州の伝説』角川書店
須藤克三・野村純一・佐藤義則『日本の伝説4 出羽の伝説』角川書店
大林太良・伊藤清司・吉田敦彦・松村一男 編『世界神話事典』角川書店

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