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剣巻(つるぎのまき)3 源頼基、頼義、義家

剣巻 現代語訳3

 1 源満仲 2 源頼光 3 源頼基、頼義、義家 4 源為義

 中世の刀剣の物語『剣巻』を現代語訳。

源頼基、頼義、義家

源頼基

その刀は頼光の代から出羽守頼基の手に渡った。

天喜5年、奥州の住人・栗屋河次郎安倍貞任、鳥海三郎同じく宗任兄弟が謀反を起こしたので、頼光の弟・河内守頼信の嫡子伊予守頼義がその討手として下されたが、そのときに頼義を兼陸奥守になして、頼基の許にあった源氏重代の剣、鬼丸・蜘蛛切を宣旨にて召し出だされて頼義に賜わった。

頼基は「この剣は祖父多田満仲より三代相伝の宝で、嫡々相承の剣でございますので、どうして身から放すことができましょうか」と申し上げたけれども受け入れられず、仕方なく差し出した。

源頼義

頼義はこれを賜わって奥州に下向し、9ヶ年の間戦ってついに戦さに打ち勝ち、貞任の首を取り、宗任を捕虜にして上洛した。貞任は身長9尺5寸、宗任は遥かに劣って6尺4寸であった。

宗任は頼義の宿所にあったが、公卿や殿上人たちが「吾妻夷はさぞかし滑稽でしょう。さあ見に行って笑いましょう」と言って梅花を一枝手折って、「宗任、これはどうだ?」と問いかけたところ、宗任は取り合わず、 「我が国の梅の花とは見たれども大宮人はいかが言ふらん」と申したので、みなシラけて帰ってしまった。さて宗任は筑紫へ流されたが、子孫繁昌して今にある。松浦党がこれである。

源義家

頼義朝臣は鬼丸、蜘蛛切2つの剣を嫡子八幡太郎義家に譲った。ここに出羽の国山北金沢城に楯籠っていた武衡・宗衡が謀反を起こしたと聞こえたので、国中の乱を鎮めるために義家が馳せ向った。猛き兵であったので簡単には落とせなかったが、3年で滅ぼした。頼義の9ヶ年の戦さと、義家の3ヶ年の戦さを合わせて、12年の合戦と申すのだ。いずれも剣の徳に依って敵を滅したのだ。

 

 

(てつ)

2019.10.12 UP

参考文献