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剣巻(つるぎのまき)現代語訳1 源満仲

剣巻 現代語訳1 

1 源満仲 2 源頼光 3 源頼基、頼義、義家 4 源為義 5 源義朝、頼朝 
6 源義経
 7 三種の神器 8 天叢雲剣 9 源頼朝のもとへ

 源氏重代の名剣をめぐる中世の物語『剣巻』を現代語訳。

源満仲

沛公(はいこう:劉邦、前漢の初代皇帝)は貴坊の属鏤(しょくる)の剣を伝えて、白蛇の霊を切り、天帝の名を出すことができた。始皇帝は荊軻(けいか)の匕首を取って、燕国の使いの命を絶ち、聖明の運を出すことを全うした。およそ白旄黄鉞(白い房と金で装飾された斧)の徳、弓馬矢石の勢い、五戈(刀、剣、矛、戟(げき)矢)の計、四義(武人のとるべき四つの道)、これはみな国を治める術であり、位を保つ基である。

最も賞玩されるべきは刀剣の類である。そもそも日本には多くの剣がある。いわゆる宝剣、十柄剣・髭切・膝丸・小鴉である。髭切、膝丸という2本の剣の由来を尋ねると、56代の帝を清和天皇と申し上げた。皇子がたくさんいらっしゃった。中でも第六皇子を貞純親王と申し上げ、その御子の経基六孫王、その嫡子の多田満仲上野介は初めて源氏の姓を賜って、天下を守護せよとの勅宣を蒙った。

満仲は「天下を守るべき者がよい太刀を持たないでどうしようか」とおっしゃり、鉄を集め鍛冶を召し、太刀を作らせてご覧になったところ、心に適う太刀はなかった。どうしようかと思われているところに、ある者が「筑前国三笠郡土山という所に異国から鉄の職人が渡って数年になります。彼を召してはいかがでしょうか」と申し上げたので、 すぐに職人を都に召し上げて、太刀を多く作らせてご覧になったけれども、1つも心に適わなかった。

職人は空しく筑紫に下るしかなかったが、その職人が思ったことには、「私は筑紫からはるばると召されたのに甲斐もなく都を下ったならば、職人の名を失ってしまうのつらい。昔から今に至るまで、神仏に申し上げることが叶うからこそ、祈祷ということもあるのだろう」と、八幡宮に詣でて、「帰命頂礼八幡大菩薩、願わくは満仲様の意に適う剣を作りださせて与えてくださいませ。そうしたならば、大菩薩の御器となりましょう」と、願書を奉って至誠心に祈った。

七日目の満願の夜に八幡大菩薩がご示現されて、「お前が申すところは不憫である。早くここから出て60日後、鉄を鍛えて作りなさい。最上の剣を2つ与えよう」とおっしゃるのをはっきりと夢に見たので、職人は喜んで社頭を出た。その後よく金をわかし、鍛え選んで60日後に作った。本当に最上の剣を2本作りだした。

長さは2尺7寸、かの漢の高祖の3尺の剣にも引けを取らないだろう。満仲は大いに喜んで、2つの剣で罪人を切らせてご覧になったところ、1つの剣は髭まで切ったので、「髭切」と名付けた。もう1つは膝まで切ったので、「膝丸」と号した。満仲が髭切・膝丸の2つの剣を持って天下を守護なさったところ、靡かない草木もなかった。

 

 

(てつ)

2019.9.19 UP

参考文献