■ 熊野の説話

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◆ 往生の日


 北野天満宮の『北野縁起』(下)に次のようなお話があります(『群書類従』二)。 

 承久二年(1070)九月の頃、仁和寺の池上という所に五十歳ばかりの西念と申し上げる僧がいて、北野に百日籠って、終日祈請することがあった。
 九十三日目になる暁に、師匠と頼んでいた僧を呼んだ。人々は不思議に思って、祈念が実らないことがわかったのだろうかと申し合ったが、西念は師匠に泣きながら申し上げた。

 「西念はすでに年来の望みが叶いました。この正月、熊野那智山に百日籠り、臨終正念(正しい心の状態で死に臨むこと)して極楽に往生すると定まった日はいつの日なのかをお示しください、と祈請しました。
 すると、夜の夢に、社殿の御戸を開いて、額のしわ厳しく白髪冴えた老僧が気高いお姿で現れて、おしゃられたことには、
 『あなたが申し上げるところの往生の日は、私の心では思いはかりがたい。北野の宮に参って祈り申し上げなさい』と。

 そのような示顕をこうむりましたので、額突いて参詣して祈っていますと、この暁、まどろんでいましたところ、夢にもあらず現とも識別できず、御殿から直衣(のうし。貴族の男子の平伏)の袖だけを差し出して、
 『あなたが望み申し上げることは容易いことではないけれども、心ざしが丁寧である。来年の二月の悲願の結願の日の朝を待ちなさい。このことを思い忘れることなく念仏しなければならない。いかなる人も心ざしをもてば往生は簡単なことであるけれども、臨終の折に魔縁と競り合って往生を遂げることは難しい』とおっしゃられた」

 と、西念は語って泣きながら出て行った。
 この僧を次の年の件の日に尋ねて行ってみると、思った通り、臨終正念して、異香が部屋に満ちて、紫雲が空にたなびいて往生を遂げたということだ。

 熊野本宮の本社は証誠殿(しょうじょうでん)と呼ばれます。証誠殿とは、念仏者の極楽往生を保証する神様がいらっしゃる社殿ということ。
 証誠殿にいらっしゃる熊野本宮の主祭神は、阿弥陀如来の権現(ごんげん。仮の姿で現れたもの。垂迹神)だとされ、そのため、熊野本宮は念仏者の尊崇を受けました。

 熊野三山はそれぞれにそれぞれの主祭神を祀りあっているので、証誠殿は本宮だけでなく、新宮・那智にもあります。
 ですので、西念は、臨終正念往生極楽の日を知ろうと那智山に籠って祈請したわけですが、那智ではわからず、北野天満宮に行けとの夢告を得ます。

 熊野の神様もすごいだろうけれども北野の神様もすごいよ、というようなお話ですね。
 ただ証誠殿の本家の本宮ではなく那智だったのは、熊野本宮に対する配慮が北野天満宮側にあったのかな、と思います。

(てつ)

2005.8.6 UP

 ◆ 参考文献

『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』

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