■ 熊野の説話 |
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◆ 小栗判官4 小栗の最期 |
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さてさて。 横山八十三騎の人々は一ケ所へお集まりなって、あの小栗と申する者を馬で殺そうとしたけれど、殺すことができず、ああしようかこうしようかとお思いなされるが、三男の三郎は後の功罪は知らないで、 横山はこれをお聞きになって、「いしう(?)計画した、三男であるよ」と、乾の局に使者が立つ。小栗殿は、一度めのお使いには了承しなかった。二度めのお使いには御返事しなかった。以上お使いは六度立つ。七度めのお使いには、三男の三郎殿のお使いである。 ああ、いたわしい照手の姫は夫の小栗のところへいらっしゃって、 二度めの夢には、小栗殿様の常陸の国より常に御重宝なされた九寸五分の鎧通しが鍔元からずんと折れ、御用に立たぬと夢に見た。三度めの夢に小栗殿様の常に御重宝なされた村重籐の御弓も、これも鷲が舞い降り、宙にて三つに蹴り折って、本弭(もとはず)は奈落をさして沈み行く。中は微塵と折れて行く。さて、末弭(うらはず)の残ったのを、小栗殿の御ためにと上野が原(うわのがはら。不詳。神奈川県藤沢市今田町上原をいうか)に卒塔婆に立つと、夢に見た。 かつての日本人は、夢をとても大切なものだと考えていました。 また、神仏のお告げである夢は、未来を予告することもありました。 ・鹿の谷事件で鬼界ケ島に流罪となった平康頼は、熊野権現に帰洛のことを祈り続け、夢のなかで、二、三十人の女房が「よろづの仏の願よりも 千手の誓ぞたのもしき 枯れたる草木も忽ちに 花さき実なるとこそ聞け」と歌うのを聞く。目が覚めた康頼は、願いが聞き入れられたのを確信する(巻二 卒塔婆流しの事)。 その夢告通り、康頼は赦免され、都に帰ることができました。 ・平清盛が安芸守であったときのこと、厳島に参詣して通夜したとき、夢のなかで天童に「私は大明神の御使いである。汝はこの剣をもって、朝家の御堅めとなれ」と小長刀を賜った。目覚めてみると、本当に枕元に刀が置いてあった(巻三 大塔建立の事)。 この夢告通り、清盛は、後白河上皇のお気に入りとなり、武家出身でありながら、全官職中最高位で「天皇の師範」と規定される太政大臣にまで登りつめました。 ・平重盛が亡くなる数カ月前に見た夢のこと。重盛は浜辺の道を歩いていると、大きな鳥居を見つけた。「あれはどんな鳥居か」と問うと、「春日大明神の鳥居である」との答え。その鳥居に人々が群れ集まっていた。そのなかから太刀に貫かれた大きな法師の首が高々と差し上げられているのを見て、「何者の首か」と問うと、「平家の太政大臣入道殿があまりの悪行をなさったために、当社大明神が召し取ったのである」との答えを聞いた。目が覚めた重盛は平家一門の運命はすでに尽きたと思い、涙を流した(巻三 無文の沙汰)。 この後、重盛は熊野を詣で、病にかかり、亡くなりました。清盛も病没、平家一門も滅びてしまいます。 このように夢が未来を予告するものであるとして、しかし、夢にはわかりにくいものも多いですよね。単純な夢はそのまま受け取ればいいとして、わかりにくいものはどうすればいいのか。 ・伴大納言善男が佐渡の国の郡司の従者であったときのこと、西大寺と東大寺をまたいで立つ夢を見た。それを妻に語ると、妻は「あなたの股が割かれてしまうのでしょう」と夢合わせ(夢判断)した。一方、優れた占い師であった主の郡司は、「汝はやんごとなき高相の夢を見た。しかし、しようもない人に語ってしまったことよ。必ず大位には至るが、事が起きて、罪を被るだろう」と述べた。その郡司の言葉通り、伴善男は大納言にまで至ったが、罪を被った(巻第一 四)。 夢から未来を知るには専門的な知識を持った人物による正しい夢判断が必要なのです。 ・ある男が悪夢を見た。同宿していた陰陽師・弓削是雄(ゆげのこれお)に吉凶を占わせたところ、弓削是雄は「家には汝を殺害しようとする者がいる」と占った。弓削是雄は男に難を避けるための知恵を授け、男はその指示に従い、殺害しようとする者を捕らえ、難を避けることができた(巻第二十四 第十四)。 未来予告の夢は、絶対的なものではなく、その人の行動により運命を変更することもできました。 さて、話は『小栗判官』に戻って、夢はこのように未来を暗示するものだと考えられましたから、幾度も不吉な夢を見た照手姫が不安に駆られるのも当然なことでした。 小栗はこれをお聞きになって、女が夢を見たといって、招かれた場所へ参らないわけにはいかないとお思いになり、そうではあるけれども気には懸かると、直垂(ひたたれ)の裾を結び上げ、夢違え(ゆめたがえ)の呪文に、 唐国や、園の矢先に、鳴く鹿も、ちが夢あれば、許されぞする(意味不明) このように詠じ、小栗殿は肌に青地の錦を召して、かうまき(?)の直垂に、刈安色の水干に、わざと冠は召さないで、十人の殿原たちも、都風にご立派に身支度して、幕をつかんで投げ上げ、もとの座敷に(?)きちんとお坐りになる。横山八十三騎の人々も千鳥掛けに並ばれた。 さしもの小栗も、照手の不吉な夢には不安を覚えたのでしょう、『夢違え』の呪文を詠じてから、横山の招きに応じました。夢違えとは、不吉な夢が現実にならないようにするためのまじないです。 来宮(きのみや)は、木宮・季宮・黄宮などとも書かれ、西相模から伊豆全体に広く行われた信仰です。この信仰にともなう習俗として特徴的なのは、飲酒と捕鳥を禁じること。これを「酒小鳥精進」あるいは「来宮精進」といいます。 横山は、これを御覧になって、坐っていた座敷をずんと立ち、あの小栗と申する者は、馬で殺そうとすれど殺されず、また酒で殺そうとすれば酒を飲まないので、仕様がない。ああしようか、こうしようかとお思いなさるが、「ここに思い出したことがあります」と、実もない法螺貝を一対取り出し、碁盤の上にどうと置き、「御覧あれ、小栗殿。武蔵と相模は両輪のごとく、武蔵でも相模でも、この貝飲みに入れて(?)、半分、分けてさしあげ申そう。これを肴となされ、ひとつ召し上がりくださいな。今日の来の宮信仰、酒断酒は私が負い申す」と、立って、舞を舞われた。 武蔵でも相模でも半分与えるからとの誘いに乗る小栗。そこまで言われたら飲むしかないのでしょう。 横山はこれを御覧になって、よい隙間よと心得て(?)、二口銚子(ふたくちちょうし。両側にひとつずつ口がついている銚子。中に隔てを作って、酒と毒酒を分けて入れることができる)を出した。中を隔てて酒を入れてあるので、横山八十三騎の飲む酒は初めの酒の酔いが醒める不老不死の薬の酒、小栗十一人に盛る酒はなにか七ぶすの毒の酒であるので、「さて、この酒を飲むと、身にしみじみと沁むよ、さて、九万九千の毛筋穴、四十二双の折骨や、八十双の関節の骨までも離れて行けと、沁むよ、さて、はや、天井も大床もひらりくるりと、舞うよ、さて、これは毒ではあるまいか、お覚悟あれや、小栗殿。君の奉公は、これまで」と、これを最期の言葉にして、後ろの屏風を頼って後ろへどうと転ぶ者もあり、前へかっぱと伏す者もある。 小栗殿は左手と右手とはただ将棋を倒したごとくである(?)。小栗殿はさすが大将だけのことはある。刀の柄に手を掛けて、「のういかに、横山殿。それ、憎い弓取りを太刀や刀は使わずに、詰め寄って腹も切らせずに、毒で殺すか、横山よ女のようなやり方をなさるな。出てこられよ。刺し違えて果たそうぞ」と、刀を抜こう、斬ろう、立とう、組もうとはなさるけれど、心ばかりは高砂の松の緑と勇めども、次第に毒が身に沁みると、五輪五体が離れ果て、さて今生へと行く息は、屋棟を伝う蜘蛛の糸を引き棄てるかのごとくである。さて冥土へと引く息は三つ羽の征矢を射るよりもはるかに速く思われた。 横山はこれを御覧になって、今こそ気が晴れた。これも名のある弓取りなので、博士(占い師)を用いて、お問いになる。博士が参り、占うには、 こうして小栗と十人の家来たちは毒の入った酒を飲んで死んでしまいましたが、小栗の体が土葬となったのは、小栗にとって幸運なことでした。 (てつ) 2002.1.9 UP ◆ 参考文献
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