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小栗判官 現代語訳2 照手姫

小栗判官2 照手姫

 1 深泥ケ池の大蛇 2 照手姫 3 人喰い馬 4 小栗の最期
 5 水の女 6 餓鬼阿弥 7 小栗復活


 常陸三かの荘(不詳)の諸侍たちは、あれこれと評議し、「あの小栗と申すのは、天より降ってきた人の子孫なので、京都と変わらず、奥の都でも」と大切にお守り申し、やがて御職務を差し上げる。小栗の判官ありとせはんと(?)、大将におなし申し上げる。夜番・当番を厳しくて、毎日の御番は、83騎と聞こえなさる。

 めでたかった(? 訳しかたがわかりません)折節、どこからとも知れぬ商人が一人参り、「何か紙か、板の物のご用は。紅や白粉、畳紙、ご香料としては、沈・麝香・三種、蝋茶とありますが、沈香のご用は」などと売っていた。
 小栗はこれをお聞きになって、「商人が背負っているものは何だ?」とお問いになる。
 後藤左衛門(商人の名)は承り、「さようでございます。唐の薬が1008品、日本の薬が1008品、2016品とは申しますが、まずこの中へは1000品ほど入れて、背負って歩くことにより、総称は千駄櫃(せんだびつ)と申すのです」。

 小栗、これをお聞きになって、「これほどの薬の品々を売るのならば、国を巡らないことは絶対にあるまい。国をどれだけ巡った?」とお問いになる。
 後藤左衛門は承り、「さようでございます。きらい(不詳)・高麗・唐へは2度渡る。日本は3度巡った」と申すのである。
 小栗このことをお聞きになって、まず名をお問いになる。
 「高麗ではかめかへの後藤、都では三条室町の後藤、相模の後藤とは私である。後藤姓の付いた者は、3人しかございません」と、ありのままに申すのである。

 小栗はこのことをお聞きになって、「姿形は卑しいけれども、心は春の花だな。小殿原(若い殿原。殿原は武士など男子の尊称)、酒をひとつ」との仰せである。
 お酌に立った小殿原は、小声で申すには「のう、どうだ、後藤左衛門。これにある君にはいまだ決まった御台所がございませんので、どこかに器量のよい、すぐれた人があるならば、仲人いたせ。よい引き出物をくださるだろう」との仰せである。

 後藤左衛門は、「存ぜぬと申したら、国を巡った甲斐もない。ここに、武蔵、相模、両国の郡代(統轄者)に、横山と申す者がいるが、男子の子は、5人までいらっしゃるが、姫君がいらっしゃらなくて、下野(しもつけ)の国の日光山に詣り、照る日月に申し子をなされたところ、6番目に姫君が生まれなさった。そのため、御名を照手(てるて)の姫と申すのである。

 この照手の姫の、さて、姿形の立派さよ。姿を申せば春の花、形を見れば秋の月、両手10本の指までも、瑠璃を並べたごとくである。
 赤い果実のような唇、鮮やかに笑んだときの歯茎の立派さよ。カワセミの羽のように艶やかな髪、黒くて、長いので、青黛(せいたい)の立板に香炉木の墨をすり、さっと書いたごとくである。
 太液(?)に比べたら、なおも柳は固いほどである。池の蓮の朝露に、梅雨がうち傾くのも、とうてい及ばない。あっぱれ、この姫こそ、この御所中の定まるお御台です」と、言葉に花を咲かせながら、弁説達者に申すのである。

 小栗は、はや見ぬ恋に憧れて、「仲人申せや。商人」と、黄金十両取り出し、「これは当座の引き出物である。このことが叶ったならば、勲功は、望みにより褒美を与える」と仰せになった。
 後藤左衛門は、承り、「位の高いお人の仲人をいたそうなどとは恐れ多いとは存ずれど、へんへん申すくらいで(?)、お手紙をお書きください」料紙と硯をさしあげる。

 小栗は、格別にお思いになり、紅梅檀紙の、雪の薄様を一重ね、ひき和らげ、逢坂山の鹿の蒔絵の筆というものにこんるい(?)の墨をたぶたぶと含ませ、書観(?)の窓の明かりを受け、思う言の葉をさも立派にお書きになって、山形様ではないけれども(?)、まだ待つ恋のことであるので、まつかいにひき結び(?)、「さあ、後藤左衛門、手紙を頼むぞ」との仰せである。

 後藤左衛門は「承ります」と、つづらの懸け籠にとくっと入れ、連尺(れんじゃく)をつかんで、肩に掛け、天を走る、地をくぐると、急いだので、ほどもなく、横山の館に駈け着いた。
 下落ち(落縁か)に腰を掛け、つづらの懸け籠に薬の品々、乾(北西)の局にさしかかり、「何か紙か、板の物のご用は。紅や白粉、畳紙、ご香料としては、沈・麝香・三種、蝋茶とありますが、沈香のご用は」などと売っていた。

 冷泉殿に、侍従殿、丹後の局に、あこうの前、7、8人いらっしゃって、「あら、珍しい商人だ。どこからやって来なさったのですか。何か珍しい商い物はないか」と、お問いになる。
 後藤左衛門は、承り、「珍しい商い物はございますが、それよりも、常陸の国の小栗殿の屋敷の裏の辻にて、さも立派にしたためた落とし文を、一通拾って持ってございますが、たくさんの手紙を見申し上げてございますが、このような上書の立派な手紙は、今までで初めてです。お受け取りいただけば、上臈様、古今、万葉、朗詠の歌の心でばし(?)ございますか。よければお手本にもなされ、悪ければ引き破り、お庭の笑い草にでもなされよ」と、たばかり、手紙を差し上げた。

 女房たちは、たばかる手紙とは御存じなくて、さっと広げて、拝見する。
 「ああおもしろいと、書かれている。上にあるは月か、星か、中は花、下には雨、霰と書かれたのは、これはただ、心の、狂気、狂乱の者か。筋道にない事を書いてあるよ」と、一度にどっとお笑いになる。

 七重八重、九重の 幔幕の内にいらっしゃる、照手の姫はお聞きになり、中の間までお忍び出ていらっしゃり、「のう、どうしたのです。女房たち、何をお笑いになったのですか。おかしいことがあるのならば、私にも知らせなさい」との仰せである。

 女房たちはお聞きになり、「何もおかしいことはないけれども、ここにいる商人が、常陸の国の小栗殿の裏の辻にて、さも立派にしたためた落とし文を、一通拾って持っていると申すので、拾い所(?)、奥ゆかしさに広げて拝見申せども、何とも読みがチンプンカンプンです。これをご覧くださいませ」と、元のようにおし畳み、御扇に据え申し、照手の姫にと、差し上げる。

 照手はこれをご覧になって、まず上書をお褒めになる。
 「天竺にては大聖文殊、唐土にては善導和尚、我が朝にては弘法大師の御筆跡をお習いになったのか。筆の立て所の立派さよ。墨つきなどの厳かであること。気品は、心も言葉も及ばない。文主は誰とも知らないけれども、文で人を死なすことよ」と、まず上書をお褒めになる。
 「のういかに、女房たち、百様を知ったとしても一様を知らなければ、知って知らないということよ。争うことのありぞとよ(?)。わからなければそこで聴聞せよ。さて、この文の訓読みをして聞かせましょう」
 文の紐をお解きになり、さっと広げて拝見する。

 「まず一番の書き出しに『細川谷の丸木橋』とも書かれているのは、この文を途中で止めないで最後まで読み通して返事を申せと、読もうかの。『軒の忍』と書かれたのは、たうちうのうれほどに(?)少しも待つことができないと、読もうかの。
 『野中の清水』と書かれたのは、このこと、人に知らせるな、心の内でひとり済ませよと、読もうかの。『沖漕ぐ舟』とも書かれたのは恋いこがれているぞ、急いで着けいと、読もうかの。

 『岸うつ波』とも書かれたのは、乱れてもの思いをしていると、読もうかの。『塩屋の煙』と書かれたのは、さて浦風が吹くならば一夜はなびけと、読もうかの。
 『尺ない帯』と書かれたのは、いつかこの恋成就して結びあおうと、読もうかの。『根笹に霰』と書かれたのは、触れたら落ちよと、読もうかの。
 『二本すすき』と書かれたのは、いつかこの恋が穂に出て(表に現われて)乱れあおうと、読もうかの。『三つの御山』と書かれたのは、申したならば願い叶えよと、読もうかの(三つの御山とは熊野三山のこと)。

 『羽ない鳥に、弦ない弓』と書かれたのは、さてこの恋を思うようになって、立つも立たれず、射るも射られないと、読もうかの。さて最後までも、読むこともあるまい。が、ここに一首の奥書がある。恋する人は、常陸の国の小栗である。恋される者は、照手であることよ。ああ、こんな文は見たくもない」
 と、二つ三つに引き破り、御簾から外へふわっと捨て、簾中深くお忍びになる。

 女房たちはご覧になって、「それ言わないことじゃないか。ここにいる商人が大事な人(照手姫)に、文の使いを頼まれていたすとは。番人はいないか。あの男を処罰しなさい」との仰せである。

 後藤左衛門はそれを聞き、さあとんでもないことになったとは思ったけれども、『男の心と内裏の柱は大きくて太くあれ』と申す喩えのありますように、上手くいかないまでも脅かしてみようと思い、連尺をつかんで、白州(白い砂の敷いてある所)に投げ、自身は広縁に躍り上がり、板を踏み鳴らし、かんきょ(「観経」か。観経は『観無量寿経』の略称)を引用して脅かしなさった。

 「のうのう照手の姫、どうして今の文をお破りなさったのか。天竺にては大聖文殊、唐土にては善導和尚、我が朝にては弘法大師の御筆跡は、しめの筆の手(不詳)なので、1字破れば仏1体、2字破れば仏2体。今の文をお破りなさって、弘法大師の20の指を食い裂き、引き破ったのにさも似ている。あら恐ろしい、照手の姫の後の業はどうなるでしょう」と、板を踏み鳴らし、かんきょを引いて脅かしたのは、檀特山(だんとくせん。北インドにある山。釈迦がここで修行した)の釈迦仏のご説法とは申すとも、これにはどうして勝るでしょう。

 照手の姫は、これをお聞きになって、もうしおしおと、おなりになり、
 「武蔵・相模両国の殿原たちの方からの、たくさんの手紙が来たのも、これも食い裂き、引き破ったが、それも照手の姫の後の業となるのだろうか、悲しいことだ。ちはやぶるちはやぶる神も、鑑みてご覧になってください。知らぬ間のことはお許しくださいませ。。明日は父横山殿、兄殿原たちに漏れ聞こえ、罰を受けるとしても、どうしようもありません。今の文にお返事申そうの。侍従殿」
 侍従はこれを承って、「その儀でございましたら、手紙をお書きなさいまし」と、料紙、硯を差し上げた。

 照手は、格別にお思いになり、紅梅檀紙の、雪の薄様を一重ね、ひき和らげ、逢坂山の鹿の蒔絵の筆というものにこんるいの墨をたぶたぶと含ませ、書観の窓の明かりを受け、思う言の葉をさも立派にお書きになって、山形様ではないけれども、まだ待つ恋のことであるので、まつかわ様(よう)に引き結び(?)、侍従殿にとお渡しになる。
 侍従はこの文を受け取って、「やあ、後藤左衛門、これは先の手紙のお返事よ」と、後藤左衛門にお与えになったのである。
 後藤左衛門は「承ります」と、つづらの懸け籠にとくっと入れ、連尺をつかんで、肩に掛け、天を走る、地をくぐると、急いだので、ほどもなく、常陸小栗殿の館に駈け着いた。

 小栗はこれをご覧になって、「やあ、どうだ、後藤左衛門。手紙のお返事は?」との仰せである。後藤左衛門は、「承けたまわっております」と、御扇に据え申し、小栗殿にと、奉る。
 小栗はこれをご覧になって、さっと広げて、拝見する。
 「ああ面白いことが書かれている。『細谷川に、丸木橋の、その下でふみ、落ち合うのがよい』と書かれたのは、これはただ一家一門は知らずして、姫ひとりが了承したと見える。一家一門は知ろうと知るまいと、姫の了承こそ肝要である。早く婿入りしよう」との詮議である。

 御一門は、お聞きになり、
 「のう、小栗殿。上方と違って、この東国では、一門が知らぬでは、そのなかへ、婿入りすることはできません。今一度、一門の御中へ、使者ををお立てください」
 小栗はこれをお聞きになり、「なに、大剛の者が使者など必要あろうか」と、究竟の侍を1000人選り、1000人のその中を500人に選り、500人のその中を100人に選り、100人のその中を10人に選り、我に劣らぬ、異国の魔王のような殿原たちを10人召し連れて、「やあ、後藤左衛門。いずれにせよ道中の案内いたせ」と、おっしゃった。
 後藤左衛門は、「承ってございます」と、つづらを我が宿に預け置き、網笠を目深にかぶって、道中の案内をつかまつる。

 小高いところへさし上がり、「ご覧ください。小栗殿。あれにある棟門の高い御屋形は父横山殿の御屋形。これに見えている棟門の低いのは5人の御子息の御屋形。乾(北西)の方の主殿造りこそ、照手の姫の局です。門内にお入りになるそのときに、番衆が誰かと咎めたならば、いつも参る御来客を存ぜぬかとお申しすれば、さして咎める人はございますまい。もうこれにてお暇申します」というので、小栗はこれをお聞きになり、かねてからの御用意のことなので、砂金百両に、巻絹百疋、奥州の馬を添えて、後藤左衛門に引き出物をお与えになる。後藤左衛は引き出物を給わって、大いに喜んだ。

 11人の殿原たちは門内にお入りになる。番衆は「誰か」と咎める。小栗はこれをお聞きになり、大の眼に門を立て(?)、「いつも参る御来客を存ぜぬか」とお申しになると、咎める人はいない。11人の殿原たちは乾の局にお移りになる。
 小栗殿と姫君を、ものによくよく譬えれば、神ならば、結ぶの神、仏ならば、愛染明王、釈迦大悲、天にあれば、比翼の鳥(オスメスそれぞれ目と翼がひとつずつで、常に一体となって飛ぶという、中国の想像上の鳥)、偕老同穴(夫婦が仲良く長生きし、死んでも、一緒に葬られること)の語らいも縁浅くあるまい。鞠、ひようとう(不詳)、笛太鼓、七日七夜の吹き囃しでお祝いになった。心、言葉も及ない(?)。

 

 

落とし文

 落とし文とは、誰かに拾われ、読まれることを期待して、道に落としておく手紙のことです。直接会って言えないことを手紙に書いて、伝えたい人が通る道の上に落としておきました。平安時代から鎌倉時代には行われていたようです。

 これまで多くの男から恋文を届けらても、一切読まずに破り捨ててきた照手姫。
 それが、後藤左衛門の謀により、どこの馬の骨とも知らぬ男からの自分宛の恋文を読ませられてしまいます。照手姫は、腹立たしさに手紙を引き破り、御簾の奥に隠れてしまいますが、後藤左衛門は照手姫を脅して返事を書かせます。

 その返事を読み、小栗は早速強引に婿入りします。

 

 

小栗判官史跡:熊野の観光名所

(てつ)

2001.4.25 UP
2001.5.31 更新
2002.3.29 更新
2010.7.23 更新

参考文献