■ 熊野の説話 |
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◆ 小栗判官2 照手姫 |
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さて、常陸の国に流された小栗。 常陸三かの荘(不詳)の諸侍たちは、あれこれと評議し、「あの小栗と申すのは、天より降ってきた人の子孫なので、京都と変わらず、奥の都でも」と大切にお守り申し、やがて御職務を差し上げる。小栗の判官ありとせはんと(?)、大将におなし申し上げる。夜番・当番を厳しくて、毎日の御番は、83騎と聞こえなさる。 めでたかった(? 訳しかたがわかりません)折節、どこからとも知れぬ商人が一人参り、「何か紙か、板の物のご用は。紅や白粉、畳紙、ご香料としては、沈・麝香・三種、蝋茶とありますが、沈香のご用は」などと売っていた。 小栗、これをお聞きになって、「これほどの薬の品々を売るのならば、国を巡らないことは絶対にあるまい。国をどれだけ巡った?」とお問いになる。 小栗はこのことをお聞きになって、「姿形は卑しいけれども、心は春の花だな。小殿原(若い殿原。殿原は武士など男子の尊称)、酒をひとつ」との仰せである。 後藤左衛門は、「存ぜぬと申したら、国を巡った甲斐もない。ここに、武蔵、相模、両国の郡代(統轄者)に、横山と申す者がいるが、男子の子は、5人までいらっしゃるが、姫君がいらっしゃらなくて、下野(しもつけ)の国の日光山に詣り、照る日月に申し子をなされたところ、6番目に姫君が生まれなさった。そのため、御名を照手(てるて)の姫と申すのである。 この照手の姫の、さて、姿形の立派さよ。姿を申せば春の花、形を見れば秋の月、両手10本の指までも、瑠璃を並べたごとくである。 小栗は、はや見ぬ恋に憧れて、「仲人申せや。商人」と、黄金十両取り出し、「これは当座の引き出物である。このことが叶ったならば、勲功は、望みにより褒美を与える」と仰せになった。 小栗は、格別にお思いになり、紅梅檀紙の、雪の薄様を一重ね、ひき和らげ、逢坂山の鹿の蒔絵の筆というものにこんるい(?)の墨をたぶたぶと含ませ、書観(?)の窓の明かりを受け、思う言の葉をさも立派にお書きになって、山形様ではないけれども(?)、まだ待つ恋のことであるので、まつかいにひき結び(?)、「さあ、後藤左衛門、手紙を頼むぞ」との仰せである。 後藤左衛門は「承ります」と、つづらの懸け籠にとくっと入れ、連尺(れんじゃく)をつかんで、肩に掛け、天を走る、地をくぐると、急いだので、ほどもなく、横山の館に駈け着いた。 冷泉殿に、侍従殿、丹後の局に、あこうの前、7、8人いらっしゃって、「あら、珍しい商人だ。どこからやって来なさったのですか。何か珍しい商い物はないか」と、お問いになる。 女房たちは、たばかる手紙とは御存じなくて、さっと広げて、拝見する。 落とし文とは、誰かに拾われ、読まれることを期待して、道に落としておく手紙のことです。直接会って言えないことを手紙に書いて、伝えたい人が通る道の上に落としておきました。平安時代から鎌倉時代には行われていたようです。 七重八重、九重の 幔幕の内にいらっしゃる、照手の姫はお聞きになり、中の間までお忍び出ていらっしゃり、「のう、どうしたのです。女房たち、何をお笑いになったのですか。おかしいことがあるのならば、私にも知らせなさい」との仰せである。 女房たちはお聞きになり、「何もおかしいことはないけれども、ここにいる商人が、常陸の国の小栗殿の裏の辻にて、さも立派にしたためた落とし文を、一通拾って持っていると申すので、拾い所(?)、奥ゆかしさに広げて拝見申せども、何とも読みがチンプンカンプンです。これをご覧くださいませ」と、元のようにおし畳み、御扇に据え申し、照手の姫にと、差し上げる。 照手はこれをご覧になって、まず上書をお褒めになる。 「まず一番の書き出しに『細川谷の丸木橋』とも書かれているのは、この文を途中で止めないで最後まで読み通して返事を申せと、読もうかの。『軒の忍』と書かれたのは、たうちうのうれほどに(?)少しも待つことができないと、読もうかの。 『岸うつ波』とも書かれたのは、乱れてもの思いをしていると、読もうかの。『塩屋の煙』と書かれたのは、さて浦風が吹くならば一夜はなびけと、読もうかの。 『羽ない鳥に、弦ない弓』と書かれたのは、さてこの恋を思うようになって、立つも立たれず、射るも射られないと、読もうかの。さて最後までも、読むこともあるまい。が、ここに一首の奥書がある。恋する人は、常陸の国の小栗である。恋される者は、照手であることよ。ああ、こんな文は見たくもない」 これまで多くの男から恋文を届けらても、一切読まずに破り捨ててきた照手姫。 女房たちはご覧になって、「それ言わないことじゃないか。ここにいる商人が大事な人(照手姫)に、文の使いを頼まれていたすとは。番人はいないか。あの男を処罰しなさい」との仰せである。 後藤左衛門はそれを聞き、さあとんでもないことになったとは思ったけれども、『男の心と内裏の柱は大きくて太くあれ』と申す喩えのありますように、上手くいかないまでも脅かしてみようと思い、連尺をつかんで、白州(白い砂の敷いてある所)に投げ、自身は広縁に躍り上がり、板を踏み鳴らし、かんきょ(「観経」か。観経は『観無量寿経』の略称)を引用して脅かしなさった。 「のうのう照手の姫、どうして今の文をお破りなさったのか。天竺にては大聖文殊、唐土にては善導和尚、我が朝にては弘法大師の御筆跡は、しめの筆の手(不詳)なので、1字破れば仏1体、2字破れば仏2体。今の文をお破りなさって、弘法大師の20の指を食い裂き、引き破ったのにさも似ている。あら恐ろしい、照手の姫の後の業はどうなるでしょう」と、板を踏み鳴らし、かんきょを引いて脅かしたのは、檀特山(だんとくせん。北インドにある山。釈迦がここで修行した)の釈迦仏のご説法とは申すとも、これにはどうして勝るでしょう。 照手の姫は、これをお聞きになって、もうしおしおと、おなりになり、 照手は、格別にお思いになり、紅梅檀紙の、雪の薄様を一重ね、ひき和らげ、逢坂山の鹿の蒔絵の筆というものにこんるいの墨をたぶたぶと含ませ、書観の窓の明かりを受け、思う言の葉をさも立派にお書きになって、山形様ではないけれども、まだ待つ恋のことであるので、まつかわ様(よう)に引き結び(?)、侍従殿にとお渡しになる。 小栗はこれをご覧になって、「やあ、どうだ、後藤左衛門。手紙のお返事は?」との仰せである。後藤左衛門は、「承けたまわっております」と、御扇に据え申し、小栗殿にと、奉る。 御一門は、お聞きになり、 小高いところへさし上がり、「ご覧ください。小栗殿。あれにある棟門の高い御屋形は父横山殿の御屋形。これに見えている棟門の低いのは5人の御子息の御屋形。乾(北西)の方の主殿造りこそ、照手の姫の局です。門内にお入りになるそのときに、番衆が誰かと咎めたならば、いつも参る御来客を存ぜぬかとお申しすれば、さして咎める人はございますまい。もうこれにてお暇申します」というので、小栗はこれをお聞きになり、かねてからの御用意のことなので、砂金百両に、巻絹百疋、奥州の馬を添えて、後藤左衛門に引き出物をお与えになる。後藤左衛は引き出物を給わって、大いに喜んだ。 11人の殿原たちは門内にお入りになる。番衆は「誰か」と咎める。小栗はこれをお聞きになり、大の眼に門を立て(?)、「いつも参る御来客を存ぜぬか」とお申しになると、咎める人はいない。11人の殿原たちは乾の局にお移りになる。 お話はまだまだ続きますが、今回はここまで。 和歌山県東牟婁郡本宮町にある本宮町山村開発センターの駐車場には、「てるて」という名の花桃が植えられています。
(てつ) 2001.4.25 UP ◆ 参考文献
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