■ 熊野の説話 |
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◆ 小栗判官1 深泥ケ池の大蛇 |
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人の多く集まる社寺の前など街頭で、庶民相手に仏の教えを広めるために語られた物語、説経。 そもそも説経とは読んで字のごとく経を説くこと。仏典を読み説くこと。 室町時代に入ると、「小栗判官(おぐりはんがん)」「刈萱(かるかや)」「山椒太夫(さんしょうだゆう)」「しんとく丸」「愛護若(あたごわか)」のいわゆる五説経があらわれます。そのなかでも他を寄せつけないスケールの大きさを持つのが『小栗判官』です。 説経『小栗判官』の成立には、物語上に藤沢の上人(神奈川県藤沢市に時宗の総本山・清浄光寺(しょうじょうこうじ)があります。清浄光寺は別名 遊行寺(ゆぎょうじ))が登場することから、時宗(時衆)の念仏聖の関与があることは確実と思われます。 鎌倉時代に興り、日本全土に熱狂の渦を巻き起こした浄土教系の新仏教「時衆(じしゅう。のちに時宗)」。その開祖・一遍上人(1239〜89)は「わが法門は熊野権現夢想の口伝なり」と自ら述べています。 念仏聖たちは、『小栗判官』などの説経を通して、当時、業病とされていたライ病をも本復させる浄化力をもつ熊野の聖性を人々に伝えていったのでした。小栗判官の死と再生の物語は、中世の日本人の心に熊野の聖なるイメージを浸透させていきました。 さてさて。説経『小栗判官』の始まり始まり。 そもそもこの物語の由来を、詳しく尋ねると、国を申せば美濃の国(今の岐阜県南部)、安八(あんぱち)郡墨俣(すのまた)の、『垂井おなこと(たるいおなこと。未詳)』の神体は正八幡である。この荒人神(あらひとがみ)の御本地(元のお姿)を、詳しく説きたてて広め申すと、これもかつては人間でいらっしゃった。 ただの人間としての御本地を、詳しく説きたてて広め申すと、当時都に、一の大臣、二の大臣、三に相模の左大臣、四位に少将、五位の蔵人、七なむ滝口、八条殿、それから、一条殿、二条殿、近衛関白、花山の院、36人の公家・殿上人がいらっしゃる。公家・殿上人のそのなかの、二条の大納言とは私である。 名は兼家(かねいえ)という。小栗の母(兼家の妻)は常陸(茨城県)の源氏の流れ。家柄と地位は高いけれど、男子でも女子でも跡継ぎがなかったので、鞍馬の毘沙門天にお参りして、申し子の祈願をなさった。最後の夜の御夢想に三つ一緒になった有りの実(梨の実のこと)を賜ったという。ああおめでたいことだなあと、山海の珍物に土地の果物を調えて、たいそうお喜びになる。 御台所(兼家の妻)は、不動明王が教えた慈救喝(じくげ。呪文)の霊験あらたかに、七月の煩い、九月の苦しみ、当たる十月と申すように順調に、御産のひもをお解きになる。女房たちが参り、介抱申し、抱きとり、「男子か女子か」とお問いになる。玉を磨き瑠璃を延ばしたかのような美しい御若君でいらっしゃる。女房たちは「ああおめでたいことですねえ。須達のように富にも運にも恵まれた人物におなりなさい」と、産湯を取って差し上げる。肩の上に鳳凰、手の内の愛子(あいし。愛児)の玉(子の誕生を祝う呪文か)。桑の木の弓と、蓬の矢で、「天地和合」とかけ声をかけ、四方を射払い申し上げる(男子が生まれたときの立身出世を予祝するまじない)。 屋敷に長く仕えている翁の太夫が参って、「この若君に御名を付けてさしあげましょう。なるほど本当に毘沙門天の御夢想に三つ成りの有りの実を賜ったというので、有りの実にこと寄せて、御名を有若(ありわか)殿」と、御名を奉る。この有若には、お乳(ち)が6人、乳母が6人、12人のお乳や乳母が預かり申し上げ、抱きとり、大事にしてお世話申し上げる。 かつての日本には、お祭りのときや社寺に参籠したときなどには誰とでも性交渉をしていいという風習がありました。 神前や仏前は神仏の力の及ぶ場所であり、人間の世界と神仏の世界、世俗の世界と聖なる世界との境界であると考えられていました。 聖なる世界に入ったとき、人は世俗の縁から切れてしまいます。夫であるとか妻であるとか、そんな世俗の人間関係も切れます。 小栗判官は鞍馬の毘沙門天の申し子ですが、長いこと子供ができなかった夫婦が社寺に参籠して子供を授けられたということは実際にあることだったのでしょう。 年日が経つのは程もない。2、3歳はとうに過ぎて、7歳におなりになる。7歳の御時、父の兼家殿は有若に師の恩恵を付けてとらせようと、東山へ学問させに上らせるが、なんといっても鞍馬の申し子であるので、知恵の賢さはざっとこうだった。1字を聞けば2字、2字は4字、100字は1000字とお悟りになさるので、御山一番の学者だと噂されなさる。 昨日今日のこととは思うけれども、御年積もって18歳におなりになる。父 兼家殿は、有若を東山より申し下ろし、位を授けてとらせたくはございますけれども、父の家柄も地位も高いので、烏帽子親(元服の時、烏帽子をかぶらせ、烏帽子名をつける人)に頼める人がいないといって、八幡正八幡の御前にて、瓶子(へいじ。とっくり)を一具取り出し、蝶花形(ちょうはながた。紙を蝶の形に折って瓶子の口を飾る。蝶は酒の毒を消すという俗信によるということです)で瓶子の口を包み、御名を常陸小栗殿と付け申し上げる。 御台所(小栗の母)は非常に喜ばれ、ならば、小栗に御台所(妻)を迎えてとらせようと、御台所をお迎えになるが、小栗は常軌に外れた人なので、いろいろ妻嫌いをなさった。背の高いのを迎えれば、深山の木のようだといって返される。背の低いのを迎えると、人の身の丈に足らぬとといって返される。髪の長いのを迎えると、蛇身のようだといって返される。顔の赤いのを迎えると、鬼神のようだといって、返される。色の白いのを迎えると、雪女を見ると興醒めもするといって返される。色の黒いのを迎えると、卑しい下種女のようだといって返される。返しては迎え、迎えては返し、小栗18歳の2月より21の秋までに、御台の数は合わせて、72人と聞こえなさる。 72人も妻をとっかえひっかえした小栗ですが、それでも小栗は満足しません。 小栗殿には、ついに定まった御台所がございませんので、ある日の雨中の退屈に、『さて私は鞍馬の申し子と承る。鞍馬へ参り決まった妻が現われることを祈願したい』と思い、二条の御所を出発して、市原野辺をの辺りで、漢竹の横笛を取り出し、8つの歌口(笛の穴。吹口と指孔)をわずかに湿らし、翁が娘を恋うる楽、とうひらてんに、まいひらてん、ししひらてんという楽を、1時間ほど奏でた。 深泥池(みぞろがいけ)の大蛇は、この笛の音を聞き申し、「ああ素晴らしい笛の音ねえ。この笛の男の子を、一目拝みたいものだ」と思い、16丈(48m余)の大蛇は、20丈に伸び上がり、小栗殿を拝み申し、ああ素晴らしく美しい男の子だねえ。あの男の子と一夜の契りをこめたいものだと思い、大蛇は、年の頃を数えると16、7の美人の姫と身を変じ、鞍馬の初めの階段に、わけありげな顔つきで立っていた。 小栗はこの様子をご覧になって、これこそ鞍馬の利生といって、玉の輿に取って乗せ、二条の屋敷にお下向なされ、山海の珍物に土地の果物を調えて、たいそうお喜びになる。しかしながら『好事門を出ず、悪事千里を走る』『錐は袋を通す』といって、都の子供達が漏れ聞いて、二条の屋敷の小栗と、深泥池の大蛇とが、夜な夜な通い、契りをこめているとの風聞である。 父兼家殿はこれをお聞きになって、「いかに我が子の小栗だからといって、心の淫らな者は、都に安住は許されまい。壱岐・対馬へでも流そう」との仰せである。御台はこの由をお聞きになって、「壱岐・対馬へお流しなられたならば、また会うことは難しいこと。私の領地は常陸です。常陸の国にお流しください」。兼家はなるほどとお思いになり、母の領地に引き連れて、常陸の東条・玉造を支配する御所の流人とおなりになる。 72人も妻を代え、挙げ旬の果てに大蛇と契る、というとんでもないはみだし者、小栗。荒振る魂の持ち主が小栗でした。 (てつ) 2001.3.5 UP ◆ 参考文献
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