■ 熊野の説話 |
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◆ 土中黄金仏出現 |
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『南総里見八犬伝』の作者として知られる曲亭馬琴(きょくていばきん。1767〜1848)が編集した『兎園小説(とえんしょうせつ)』という随筆集があります。 『兎園小説』の第七集には、「土中黄金仏出現」と題された記事があり、それには熊野本宮での出来事が記されています。記事を書いたのは海棠菴(かいどうあん。関思亮の号。書家の関其寧の孫とあります)で、その記事の後で曲亭馬琴が補足説明を付しています。現代語訳してご紹介します。
今年、文政八年乙酉の春、熊野本宮社が堤防を築こうとして、境内の川上にある大黒島という岩山から大石を引き出す。ここで不思議なことがあった。 このようなことが数日あって、その春、三月の二十日から数多のカラスがこの場所へ飛んできて人を恐れない。たとえれば腐肉に蝿が集うがごとしである。そうしてこの日から次の日まで、銀器の破片と見えるものを数片掘り出した。そうしてまた二十二日至っては、カラスがますます集まって、空中に飛びめぐって、羽をたたきクチバシを鳴らし、ほとんど人の頭上をついばもうとする勢いなので、心弱い雇夫らは逃げ走ってこれを避け、勇ましい者どもは怪しみ疑いながらもそのままに土石を穿つと、その日ももう正午になったころ、土中からひとつの瓶が現われ出た。 今の世に見慣れない様子の器であるので、人がみな寄ってこれを見ると、その瓶に以下のような彫った文字があった。
この瓶の中に黄金で造った円龕(えんがん。円柱形の、仏像などをおさめる入れ物)が一個あった。その図、下のごとし(図略)。この金龕のふたを開いて見ると、内に 浮檀金の阿弥陀仏の尊像一体を納めてあった。御丈七寸。愛愍接取の慈眼があざやかで、瑞厳殊勝の妖相が尊く拝まれ、みなは奇異に思った。 先に得た白銀の器とおぼしきものは、破片をすべてをそろえることはできなかったが、取り集めて重さを量ると、八百目以上あった。この度、紀州藩から修理の宰としてここに来ていた官吏の石井伝左衛門という人は、これを得て藩主に奉り、命を請おうと秘襲して(?)、その月の二十四日に本宮を出発して府に帰った。 右の一説は藩に縁のある友人の一人に得た。
本宮旧社地の熊野川向こうの対岸の備崎(そなえざき)には、尾根に沿って大峰奥駈道が通り、尾根筋から本宮旧社地に面した斜面には多くの経塚が発見されています(備崎経塚群)。 文政八年に発掘された阿弥陀如来像を納めた円龕(金ではなく青銅製)と銘文の刻まれた陶製の外筒は、現在、東京国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。 (てつ) 2005.9.30 UP ◆ 参考文献
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