■ 熊野の説話 |
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◆ 垢離棹とあだ名された男の話 |
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京から熊野までは往復およそ1ヶ月。熊野詣は苦行の旅であり、精進潔斎の道でした。
とあるように、馬や輿を用いては苦行にならないので、徒歩で行くことが原則とされました。 先達(せんだつ。案内人の山伏のことをいいます)の指導のもと、参詣者たちは日々の精進潔斎に励みました。 鎌倉時代の説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』にこんな話があります(巻第一 神祇第一 19)。 徳大寺実能(さねよし)の熊野詣と随行の垢離棹(こりさお)の事 いつ頃のことか、徳大寺の大臣(藤原実能)が熊野へお参りなさった。讃岐の国(今の香川県)をお治めなさっていた頃であったので、かの領国から人夫を多く召しのぼらせていたが、人数が多く余るほどだったので、少々帰し下されたところ、ある人夫の一人がしきりに嘆き申し上げるのには、 さて、大臣が本宮にお着きになって、奉幣を終えて、証誠殿(しょうじょうでん。本宮の本殿)の御前で通夜して、無事に参詣できたことを喜んで、大臣の身でありながら、藁沓(わらぐつ)に脚絆(きゃはん)を身に付けて、長い道のりを歩いて参ったのは、なかなかできない稀なことであると、心中に思われて、ちょっとまどろんで見た夢に、御殿より高僧が出ていらして仰せられたのには、 驚きかしこみて、その棹のことを尋ねられると、かくかくしかじか初めから事の次第を申し上げたので、哀れみなさって、領国に屋敷などを子孫末代までと決めてあてがわれた。 ひたむきに信心し、精進する者の上に、熊野権現の御利益は与えられるものなのでした。 (てつ) 2002.10.12 UP ◆ 参考文献
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