■ 熊野の説話 |
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◆ 雨月物語「蛇性の淫」1 出逢い |
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江戸時代中期の国学者・上田秋成(うえだあきなり。1734〜1809)が書き上げた怪異小説の傑作『雨月物語』。 『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」 いつの代であったか、紀の国三輪が崎(みわがさき。和歌山県新宮市三輪崎)に大宅(おおや。朝廷直轄領に置かれた官吏を尊敬して呼んだ呼称という。ここでは村長の姓として用いている)の竹助という人がいた。この人は海の幸で栄えて、漁夫たち大勢養い、大きいのや小さいのや様々な魚を穫れる限り穫って、家豊かに暮らした。 父はこれをこれを憂いながら、「財産を分け与えてもすぐに他人に取られてしまうだろう。といって他の家に婿にやるのも結局いやなことを聞かされるのが煩わしい。ただ、したいように成長させて学者になるもよし、僧になるもよし、生きている限りは長男の厄介者としておこう」と思って、強いていましめもしなかった。この豊雄は、新宮の神官・安倍の弓麿(あべのゆみまろ。新宮の神官に安倍姓はなく、秋成の創作であろう)を師として行き通った。 九月下旬。今日は、とくに余波もなく凪いだ海だったのが、にわかに東南から雲が来て、小雨が降りはじめる。師の許で傘を借りて帰るが、阿須賀神社の宝物殿が見える辺りから雨もだんだん強くなったので、そこにある漁夫の家に立ち寄る。主人の老人が這い出てきて、「旦那様のご次男様ですか。こんな祖末は所にお入りになるのは、たいへん恐れ多いこと。これを敷いて差し上げましょう」と言って、円座(わろうだ)の汚いのを埃を払って差し出した。「しばらく休む間くらいは何の不都合があろうか。ばたばたしないでくれ」と言って休んだ。 外の方で麗しい声がして、「この軒下をちょっとお貸しくださいませ」と言いながら入ってくるのを、いぶかって見ると、年は二十歳に足らぬ女で、顔かたち、髪が肩にかかる様がたいそう美しく、遠山ずり(藍色で遠い山の様子を染め出した着物)の色のよい着物を着て、十四、五歳くらいの年若く美しい侍女に包んだ物を持たせて、ぐっしょりと濡れて心細そうにしている。 女が「ちょっとごめんください」と言って、狭い住まいなので、はからずも並んで坐るようにしているのを、近くで見れば見るほど美しく見えて、この世の人とも思われないほどに美しさに、心もぼうっとしてしまって、女に向かい、
と詠んだ場所で、ほんとうに今日のようなしみじみとした風情ですね。この家はむさ苦しいながら、私の親が面倒をみている男です。心安く雨宿りなさい。さて、どこを旅の御宿所となさっているのですか。お見送りするのもかえって無礼なので、この傘を持って出てお行きなさい」と言う。 女が「たいへん嬉しいお心持ちを仰せられました。その暖かいお心持ちに甘えて、私の濡れた着物を干して参りましょう。私は都の者ではなく、この近所に長年の間、住んできましたが、今日こそよい日だと思って那智に詣でましたところを、突然の雨の恐ろしさに、あなたが雨宿りなさっているとも知らないで、わきまえもなく立ち寄りました。私の家はここから遠くはないので、この止み間に出て行きましょう」と言うのを、 無理に「この傘を持ってお行きなさい。傘は何かのついでに頂戴しましょう。雨は一向に止んでおりませんものを。さて、お住まいはどちらですか。当方から頂戴の使いを出しましょう」と言うと、「新宮の辺りで、『県の真女子(あがたのまなご。県が姓で、真女子が名)の家は』とお尋ねください。日も暮れましょう。ご好意の傘をさし戴いて帰りましょう」と言って、傘を取って出て行くのを豊雄は見送りながらも、主人の蓑笠を借りて家に帰ったけれど、まだ面影が忘れられず、少しの間まどろんだ暁の夢に、 あの真女子の家に尋ねていって見ると、門も家もたいへん大きく作ってあり、蔀(しとみ。雨戸の一種)を下ろし、すだれを深く垂らして、奥ゆかしく暮らしていた。真女子が出迎えて、「御情け忘れがたく待ち恋い申し上げていました。こちらへお入りください」と言って、奥の方に案内し、酒や菓子など様々にもてなしながら、嬉しい酔い心地に、ついに枕を共にして寝物語する、思うと、夜が明けて夢から覚めた。本当であったならばと思う心にせかされて、朝食も忘れて浮かれて出て行った。 俗に「朝夢は正夢」といい、それを期待して、豊雄は朝食もとらずに家を出ました。 新宮の里に来て「県の真女子の家は」と尋ねると、一向に知っている人がいない。昼過ぎまで探しあぐんでいたところ、あの年若い侍女が東の方から歩み来る。豊雄はこの侍女を見るや否やたいへん喜び、「お嬢さんの家はどこですか。傘を返してもらおうと尋ねて来ました」と言う。 豊雄が「この土地の安倍と申す方は、私が長年ものを学んでいるお師匠なのです。そこに参上するついでに傘をもらって帰ろうと思って失礼ですが参上しました。御住居を見ておきましたから、またの機会に参上しましょう」と言うのを、真女子は無理にとどめて、「まろや(侍女の名)、決してお出し申し上げるな」と言うと、侍女が立ちふさがって、「傘を無理にお貸しくださったではありませんか。そのお返しに無理にもおとどめ申し上げます」と言って、腰を押して南向きの一番よい客座敷に豊雄を迎え入れた。 板敷きの間に床畳を敷いて(当時は客のあるときに畳を敷いた)、几帳(きちょう。台に2本の柱を立て、横木を渡して帳(とばり)を掛けたもの)、御厨子(みずし。観音開きの戸がついた棚)の装飾品、壁代(かべしろ。壁の代わりに上長押から垂らした帳)の絵なども、みな古い時代のよい物で、並の人の住居ではない。 客も主人もともに酔い心地であるとき、真女子は盃をあげて、豊雄に向かい、桜の枝が水に映っているような顔に、春風をあしらうような風情で、梢の間をくぐる鶯のような美しい声をして言いだしたのは、 豊雄はもとよりこうなることを願い、心も乱れていた恋しい女だから、飛び立つばかりに嬉しく思うけれども、親に養われている自分の身分を顧みると親兄弟の許しが得られないであろうと、喜んだり、恐れたりして、すぐには返事もできないのを、真女子はわびしがって、 豊雄が、「初めから都人の身分の高いお方と見申し上げていたのは、我ながら賢明でした。「鯨寄る地の果ての浜辺に生まれ育った私にとって、このように嬉しいことはいつ承ることができましょうか。すぐにお返事できないのは、親や兄に仕える身なので、私の持ち物といったら爪や髪の他ありません。結納に贈ってお迎えする手段もないので、私に財産がないのを後悔するばかりです。 「とても嬉しいお心をお聞き申し上げたからには、貧しくとも時々、ここにお通いください。ここに前の夫の二つとない宝としてお愛でになった太刀があります。これを常にお佩(は)きになってください」と言って与えるのを見ると、金銀を飾り立てた太刀で、恐ろしいほど見事に鍛えた古い時代の物であった。めでたいことの始めに贈り物を断るのは縁起が悪いからと思って、受け取って納めた。 さて、今回はここまで。 (てつ) 2005.9.24 UP ◆ 参考文献
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