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平治物語6 清盛、六波羅に着く

平治物語 現代語訳6 清盛、六波羅に着く

 1 信西打倒の議 2 悪源太義平の提案 3 信西出家の由来
 4 信西が示した不思議 5 清盛、熊野権現に祈る 6 清盛、六波羅に着く

 平治の乱を描いた軍記物語『平治物語』より熊野が関連する箇所をピックアップ。

「清盛六波羅上著の事 並びに上皇仁和寺に御幸の事」より

 そうするうちに熊野へ参る人は稲荷へ参るものなので、太宰大弐清盛は切部王子(熊野九十九王子のひとつ。切目王子とも。とくに格式の高い五体王子のひとつ)のナギの葉を、稲荷の宮のスギの葉に手向けつつ、喜び申しの流鏑馬を射させ都合その軍勢は一千余騎にて、同じ二十五日(平治元年12月25日)の夜半ばかりに差し障りなく六波羅(平氏の京での拠点)へとお着きになった。

 その夜、内裏では六波羅から攻め寄せてくると言って騒ぐ。六波羅では内裏から攻め寄せられると言って騒ぐ。去る十日から二十六日までこのように騒動する。風吹けば木安からずの例えで、早くやってさっさと決着をつけてしまえよ、正月三が日の儀式にも差し障りがあると、上下が嘆くのも道理である。


 熊野詣からの帰りには伏見稲荷に参詣するしきたりでした。

 

 

(てつ)

2012.4.25 UP

参考文献