■ 熊野の説話 |
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◆ 弁慶物語7 吉内左衛門 |
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さて。 武蔵坊は瀬尾の館で言ったことには、「もとより五濁(ごしょく。仏教でいう悪世における五つの汚れ)死生の世界。もともと、重大な悪い煩悩と、父母から受けた肉体からは逃れえない。願っても、少しも来るものではないし、忌み嫌っても去るものでもない。南無三宝」と眺め、あざけって笑って座っていた。 襖の向こうで、若武者たちが寄り集まって言うことには、「噂に聞く武蔵坊もやすやすと捕らえることができた。平家のご幸運は真っ盛りである。このようにあれば、九郎義経のいらっしゃるところも明らかにできるだろう。糺問(きゅうもん。罪状を厳しく問いただすこと)するのに、弱く責めては落ちるまい。火責めか水責めかにしようとのご裁断である」とささやいたので、 武蔵は聞いて、「方腹痛い奴らの企みだなあ。ほんとうに拷問しようとするならば、これくらいの縄は物の数ではない。ねじ切って、瀬尾の家の桁か柱かを引き外し、手並みを見せるのは簡単なこと。弁慶の力は、人にも預けておらず寺社参りで留守にしているわけでもなく、ここに隠れているのだから。ただ当たり前のことと思って、過失を犯すおかしさよ」と思って言ったことには、「やあ、殿原、弁慶は学問もし、戦もし、相撲も取り、喧嘩もお手の物であるけれども、いまだ糺問とやらには当たったことがない。糺問というのは、からいものか、渋いものか、痛いものか、よいものか、糺問を当ててみろよ、殿原ども、試してみよう」と言い、あざけって笑った。 平家の人々は、これを聞いて、「どうしようか」と相談されたが、ここに吉内左衛門(きちないざえもん。橘内左衛門尉季康(きつないざえもんのじようすえやす ) )といった者が浄海(平清盛。出家して浄海と名乗った)の御前で申し上げたことには、「この武蔵坊は我が国で並ぶ者なき愚か者で、今も参りましたところ、糺問ではどう責めても落ちません(白状しません)。はかりごとして問おうと思います。この法師は極めて大酒飲みで、酒にさえ酔ってしまえば、物語を好むものです」「どのようにも考え通りにしなさい」とおっしゃられたので、酒肴を用意して、瀬尾の館へ持たせた。 武蔵坊が思うことには、ああ、我ながら自分は幸運な者だなあ。この間は御曹子のお供を申し上げ、野山を家とするので、飯や酒は思うようにならない。これほど丁寧な酒肴を得たことのおもしろさよ。これも君主のため師のため命を棄てたためである。これを心のままに飲むならば、力もますます増さるだろう敵のはかりごとに合ってはたまったものではないと思うので、しんからおかしいと思った。「ああ、早く平家を討ち従えて、出世してこの返礼をしたいものだ」と、つぶやき言をした。おしなべて弁慶は何度もよく飲んだ。 吉内左衛門は弁慶の機嫌がよいと思ったので、一言言い訳をして、「大した御肴も調えませんで。お粗末な次第です」と申し上げたので、「ただ機嫌がよいことを肴にしてください」と、大盃で差し受け差し受け十杯ほど飲んで後、「総じてこの法師は公家のところで出仕し申し上げたことがないので、どなた様も見知り申し上げません。そのようにおっしゃるあなたの御名字は何と申し上げるのだろうか」と言ったので、 「吉内左衛門と申し上げる者でございます。少し申し上げる事情があって参りました。本当のことではないようにお思いになられましょうが、これを申し上げるために、婚戚方に付いて、御一門でいいるのだと思われます。なまじ他人でございますので、かえってよかろうものを、一門でございますことにより、私を存じまして、何事も用心するようにしてきた次第です。人の心も計りがたく見る間に、近づき申し上げ等閑ない申すらん(?)と人々は考えるが、今まで遅れたことをお許しいただきたい」と言い、「以上のことは私のことを申し上げました。ところで、武蔵殿については、平家の御一門でさまざまに御内談があった。世の人々はみながみな斬り申し上げよとの裁断であるけれども、今に始まったことではございませんが、小松殿(平重盛。清盛の嫡男)の御裁断では、 『昔、源平両家のお取り決めで、平家に事件が起きた場合、源氏より事を静め、互いに諌め諌められるときは世の乱れもなかったが、今この頃は新院、本院の御争い(崇徳院と鳥羽院が争った保元の乱のこと)によって、源平左右に別れ、源氏は滅び、平家は栄えるとはいっても、源氏が世にいらっしゃらねば、一方欠けてお思いになる。 と、弁を尽くしておっしゃる間、浄海もご同意して、御一門の人々ももっともなご処置と喜び合われました。 そのときに弁慶はつくづくと聞いて、左右の目をふさぎ、うなずき、「ありがたい、ありがたい。どこにでも持つべき物は一門である。親しくなければ、このようなことを誰が語って知らせることができようか。御曹子を取り出し申し上げないと言って、糺問に当てられれば、弁慶の身とて岩や木で固めた身ではない。激しい責めに当てられれば、ありのままに申し上げよう。そのとき申し上げるより、今ありのままに申し上げる。 御代にお立ちになれば、弁慶とても国の主、五ヶ国も主君からいただかないことはあるまい。これほどめでたい事どもを進んでも申し上げるべきだが、知らないのは何の甲斐もない。そうであるので、古い言葉にも、敵の中に味方あり。味方の中に敵ありというが、今こそ思い知らされた。決して人にお申し上げなさるなよ。あなた一人に申し上げよう」と言う。 吉内左衛門は喜び、白状させた褒美に国をお与えにならないことはあるまい。誰を代官に下そうと心の内で思いながら、いっそう近くに寄り、弁慶と額を合わせて聞いたところ、「今は何を隠し申し上げよう。御曹子は日本国」と言う。 左衛門はそのとき、顔色をもとに戻し、「そのことならば、おもしろいいわれがある。物事は浅いところから深いところへ入るという順序がある。ただこれはあなたの不注意であるならば、断じて簡単には済まされないと思うため、御身のために腹が立っているのだよ。私も人も世にあって、源氏へ申し上げることがあれば、武蔵殿を頼りにし、平家へ申し上げるのに何の事情があるのか。源平両家の御内に左右の翼ができることは嬉しいことだ」と言ったので、弁慶は「申し上げるまでもない」と言って心地よさげに笑った。 「ところで、どこにいらっしゃいますか」と言ったので、弁慶は空へ指を差し、頭を軽くうち振り、「もし、今日、他へお移りになったかは知らない。昨日まではまさしくあの雲の下にいらっしゃった」と言う。 そうこうしているうちに、浄海はこのことをお聞きになって、「案の定、日本一の弁慶は騙されないだろうと思っていた。急いで殺せ」と言って、大勢の中に取り込め、六条河原(処刑場として知られていた)へ急いだ。これを見ようと思って、貴賤上下の人々が声高に騒いだ。広く行き渡って人に見せようとして、高い所に敷皮をしき、西向きに武蔵を引き据えた。 吉内左衛門はからかわれたのを心安からず思って、太刀取り(罪人の首を斬る役目の者)を引き受け、近づいた。 吉内左衛門が言うことには、「ああ、憎らしい御坊の言葉だなあ。日本一の剛の者(武勇にすぐれた者)であるとも、今はどうしてそれほどにおもしろいのか。人に弱味を見せまいとの気持ちであろう。剛も臆病もただ今生一世のことだぞ。よくよく慕わしいのは悟りの世界でとどめている。日頃の強情を差し置いて、今が最期のことなので、一通りの念仏をも申し上げ、死後救われてくださいね。喜ぶべきことを喜び、歎くべきことを歎くことを、道徳の手立てでは申し上げるのだ。歎くべきなのに強情になって歎かない。気負い立つ気持ちはかえって臆病である。強情も慢心もお棄てになって、死後のことを深く念じてください」と申し上げたので、 武蔵坊は両目をつぶり、うなずいて、「恥ずかしいなあ。左衛門殿。聖徳太子の記された文章(具体的には未詳だが、「聖徳太子未来記(天王寺未来記)」か)にも末世には男が衣鉢を保ち、高座に上り、説法を述べると、法師は甲冑を帯し、戦をすべしと見える。 法師の身として、このような教化にあずかるとは返す返すも恥ずかしいことだ。結局のところ、高徳の僧侶を頼りにしよう。その理由は、雪山童子(せっせんどうじ。釈迦の前世のひとつ)は鬼神を礼拝して反偈を受け、帝釈天は狐を敬って師となさった。 なので念仏申し上げよう。左衛門殿、同じようによく教化してください。念仏においても多数ある。一念か多念か、自力か他力か、一向(一向宗。親鸞が創始した浄土真宗の俗称)か専修(せんじゅ。他の行はせずにもっぱら南無阿弥陀仏の名号を唱えること。専修念仏)か。どれを申し上げるべきか」と笑ったので、 左衛門は腹を立て、「さあ、御坊に笑われよう」と言いながら、直垂の露(袖くくりの緒の端)を結んで肩を越し、袴のそば(袴の左右、腰の部分に開いた縫い止めの部分)を脇に挟んで持って、大太刀をするりと抜き、後ろに立ち回ると、弁慶はこれを見て、頭を軽く振り、「恐ろしい」と、「白い御佩刀(おんぱかせ。貴人の刀剣の敬称)だなあ。それは金か氷か、お持ちになる手は冷たくはないか。左衛門殿」と笑った。 今回はここまで。 (てつ) 2003.7.21 UP ◆ 参考文献
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