■ 熊野の説話 |
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◆ 弁慶物語5 義経 |
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さて。いよいよ弁慶は源義経と出会うことになります。 このようなところに、弁慶は、「ああ、よい相手が欲しいものだ。喧嘩して慰めよう、この手持ち無沙汰を」と言いながら、東寺(京都市南区九条町の教王護国寺の通称。真言宗東寺派の総本山)を目指して下ったが、道行く人が言ったことには、「この辺では、天狗が荒れて鞍馬(くらま。京都市左京区にある山。鞍馬山中腹に鞍馬寺がある。源義経が幼少時にこの寺に籠り修行し、天狗に兵法を習ったと伝えられる)の奥より夜な夜な出てきて、数えきれないほど人を斬っている」と言う。 頃は六月十五日の夜のことであるが、洛中をここかしこと伺い見るけれども、相応な者もいなかった。そろりそろりと歩み行くうちに、北野天満宮(京都市上京区にある天神信仰の中心地)に参った。武蔵のその夜の装束は、いつも好んだ通りなので、白い帷子(かたびら。裏をつけない衣服)の脇を深く解かせ、褐(かちん。藍色)の鎧の直垂に黒糸威の腹巻に、雲に竜の小手を差し、白檀磨きの脛当に、四尺余りの大太刀を鐺(こじり。刀剣の鞘の末端)を高くして刀を佩くようにして、一方に向けて、八尺余りの八角棒、左右に石突を取り付け、ところどころに金疣(かないぼ)を打たせ、中の手で握る部分を琴の弦でしっかりと巻き固めて、左手の脇に挟み込んで、神前の広場に仁王立ちに立っていた。 御曹子(義経。源義朝の九男。血筋正しい家柄の子ということから御曹子と通称された)のその夜の装束は、白い袷(あわせ。裏表別の布を合わせて作った衣服)を交差させて、精好の大口に浅黄(あさぎ。薄い青色)の直垂、を召し、薄化粧し、歯は黒く染め、薄衣(うすぎぬ。薄い着物)を取って頭にかぶり、黄金作りの御佩刀(おんばかせ。貴人の刀剣の敬称)を脇に横に向けて佩き、社壇の御前に腰を掛け、念誦していらっしゃった。 かの弁慶の姿をご覧になって、「何となく怪し気な様子だなあ。西塔の武蔵坊弁慶といって、日本一の不届き者がいると聞いたが、もしかしたらそれであろうか。それも人間界の者であれば、これほどに色が黒く、背は高くはよもやあるまい。愛宕、比良(滋賀県滋賀郡志賀町の山岳地帯)の天狗は義経に慣れているので、たいがい見知って覚えている。どう見ても鬼満国(きまんごく。想像上の鬼の国)の鬼神が、私を悩まそうと来たのだろうか」と、ご覧になっているところに、 弁慶が思うことには、ここにいる男の立派で気高いことよ。これがあの噂に聞く牛若殿であろうか。たとい何でもあってもよい。あれほどの小男がいかほどのことがあろうかと、これ念誦する様子で、もっとよく姿を見んがために、苛高の数珠(いらたかのじゅず。平たくて角ばっている玉の数珠。揉むと大きな音を立てる)を取り出し、真言(梵語の呪文)でもなし、お経でもなし、舌でごまかして、ただ「ろんろん」と言い、後には「ぐれんぐれん」と言って、数珠を押し摺って、その間に御曹子の風情を見たところ、人とは一風変わって、眼光が鋭くて、上の前歯が少し前に反って出て(出っ歯のこと)、色白で気高くいらっしゃった。 お持ちになる御佩刀は黄金作りのように見て、奪うことはとても容易いとして、ざっと値踏みをした。これを書写山に献上すれば、一坊の造立の手助けにはなるだろう。どの程度の刀身であろうか。早いところ、打ち落として見ようと思って、一、二度前を通ったが、三度目に脇に挟んでいる八尺棒を取り直し、ちょうど(物と物とが打ち合う音を表わす語)と打つ。 御曹子はご覧になって、この御坊の振る舞いを見ようとお思いになり、かっぱと打つと、ちょうどと遮って、左右に受け流し、御坊の手並みのほどをご覧じたのこそ恐ろしい。 御曹子はご覧になって、「何の恨みだ、御坊よ。出家の姿なので、命は助けるぞ。早く退散しろ」と仰せになる。 御曹子は鞍馬の奥、僧正が谷(鞍馬寺と貴船神社との間にある谷あい。天狗が住むとされた)で、兵法を極めた。弁慶は三塔で広く世に知られた太刀の上手である。ノミとヤスリと、岩と金とのように鍔鉄(つばがね。鍔の金属部)を鳴らし、しのぎを削り半時(はんじ。現在の約1時間)ほど戦った。 御曹子がお思いになることには、この御坊の首を打ち落とすのは簡単であるけれども、あいつはあれこれの事情を申すまでもない強敵である。命を助けておき、召し使おうとお思いになり、小鷹をお呼びになり、その飛翔力を利用して、虚空に上がりなさった。拳を強く握り、弁慶の頭を、割れて退散しろと、二、三度、殴られた。弁慶は目が眩み、太刀を支えにして立っていた。 その後、御曹子が仰せになることには、「おい、御坊、太刀を惜しいとは思わないか。惜しければ与えよう。さあさあ」とおっしゃったけれども、しばらくは返事もしなかったが、ややあって思ったことには、多くの者に会ったけれども、これほどに短時間で目論見にも及ばず負けたことは今までなかった。 「それ、与えよう」とおっしゃって、立って近寄りなさるのを見ると、二十歳にはよもや届くまい。あれほどの小冠者にどのような力があるのかと、組もうと思って、太刀を取るでもてなし、組もうとするところで、御曹子はご覧になって、ちらりとはずし、八尺の築地をひらりと跳ね越えなさったので、弁慶は不思議に思って、「さては人間界の人ではなかったのか。天神が変じなさり、出家の姿でありながら、甲冑を身に付けて、悪を好んだのを戒めなさると考える。人間界の人ならば、このように恥ずかしく弁慶が負けることはあるまい。なるほど負けたのももっともなことである。神が憎いととお思いになるのも当然である。流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者(出家剃髪の式の時に唱える偈文の冒頭句)」と唱え、 「私は出家の身として、頭を剃り、心は剃っていない。衣を染めて、心を染めていない。ただ悪だけを技芸として一善の蓄えもない。神の御心に合わないのももっともである。そうであるならば、命をお絶ちにならない神仏の慈悲のありがたさよ」と、神前に参って、慚愧懺悔して、もとより悪を好むけれども、経典、経典以外の書に暗くなく、道理をわきまえた剛の者であって、一晩中、経を読み、罪障を告白し、声を上げて泣いて、後悔したものの少しの間の道心(仏法に帰依する信仰心)である。 その後、神前を下がり、帰路について、五、六町(1町は約109m)行って思ったことには、ともかくも先の小男はほんとうに神でいらっしゃるのか。もし、人間界の者ならば、道心を起こして、その後に会うのも、思えば恥ずかしい。 また、八月十七日の夜、清水(きよみず。京都市東山区清水坂上にある音羽山清水寺のこと)へ件の男が参るだろうかと思い、清水を目指して参った(清水寺の本尊は十一面千手観音で、月の十八日は観音の縁日とされ、前日からの通夜籠りや当日の参詣で賑わった)。 御曹子はお聞きになり、「不思議なことをおっしゃることだなあ。仏が、仏法が行き渡った御時世での四種の弟子(出家の比丘・比丘尼の衆と在家の優婆塞・優婆夷の衆のこと)を俗人といって嫌うことがあるのか。そのうえ、御身は頭は法師に似ているけれども、甲冑を帯し、悪逆をお好みになるので、かえって法師の名を汚している。衣を着、袈裟を掛け、経まではないとしても、仏の御名を唱えるのならば、私が坐る場所を引き退いて、あなたを招き入れるべきであるが、あれこれと欠けている御坊に何の恐れをなすべきか」とからからとお笑いになったので、 これほどの群集のなかで、そっけない言葉を返されたのを何よりも無念であると、心の内で思いながら、「もしもし、冠者殿、聞いてください。二人の間に契りがあるのだろうか、再々参り会うのは不思議である。高言は無駄である。賭けて勝負を決しよう」と言ったので、御曹子はお聞きになり、「それは望んでいたところである。何を賭けよう」とおっしゃると、弁慶が申し上げたことには、「御身がお負けになったならば、私に使われください。私が打ち負けたならば、必ずお仕え申し上げよう」と言ったので、御曹子はお聞きになり、「日頃、この御坊の手並みのほどはよく知って、使いたく思っていたが、天の与えか、嬉しいなあ。使いたいものだ」とお思いになり、「まったくおもしろい御坊だ。場所はどこで」とおっしゃると、「五条河原が広々としてよい」と言う。 御曹子はお聞きになり、「それはまったく御坊の逃げる算段かと思われる。しかしながら、御坊が好むところを嫌えば、私がまた未熟であるように思われるだろう。さあ、連れ立って行こう」と言って、清水を下向して、五条の橋の真ん中を勝負場所に定めた。 左右へさっと引き下がり、しばらく息を継ぎ、弁慶が心に思うことには、どう見ても、これは源九郎義経でいらっしゃるのだなあ。そうでなければ、これほどに弁慶の手に応える者はこの世に思い出せない。この度、勝負を付けるのに、無理して私がもし討ち死にして後に、誰ともわからないのも無念であろう。互いに実名を名乗るべきだ。 「私は六孫王(源経基(つねもと)。清和源氏の祖)から六代、多田満仲(ただのみつなか。源満仲。摂津の多田に住んだことから多田源氏を称した)から三代、下野(しもつけ)の左馬頭(さまのかみ)義朝の御子、牛若丸。幼少の時より鞍馬の寺に登り、学問し、その後、鞍馬の奥、僧正が谷で天狗に会い、兵法の奥義を極めた私である」とお名乗りになる。 御曹子はご覧になって、いつまで適当にあしらおうか。勝負を付けようとお思いになり、宙にさっと舞い上がり、弁慶の首の辺りを、深手を付けないで、七ケ所まで浅手を負わせなさった。 「もしもし、御曹子、お聞きください。弁慶ほどの従者をどのようにお思いになるとも、類少ないでしょう。私もまた、御曹子ほどの主君を頼み申し上げることも難しいでしょう。必ず何らかのお力になり申しましょう」と頭を地に付け、降参を申し上げた。 今回はここまで。 (てつ) 2003.6.13 UP ◆ 参考文献
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