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藤原頼資『修明門院熊野御幸記』(現代語訳2)

藤原頼資の修明門院熊野御幸随行日記(現代語訳2)

 承元4年(1210年)の修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資(ふじわらのよりすけ)の記録『修明門院熊野御幸記』を現代語訳してしてご紹介します。このページは4月21日分。

  1. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳1
  2. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳2
  3. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳3
  4. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳4
  5. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳5
  6. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳6
  7. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳7

 漢文は不得手なので、間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、メールフォームはこちら

修明門院熊野御幸記

4月21日

二十一日、戊寅(つちのえとら、ぼいん)。天気晴れ。
夜半に行水の所作。先達が祓い、杖を授けた以後に御所に参る〔小袴・浄衣・折烏帽子・脛巾・志度、如常差刀〕。先の民部卿(藤原長房)以下、人々が少々参集。別当が浄衣を着て参入。出御事口入。

寅の刻(※午前4時ころ)に御浴。御禊の儀は先々のごとし。御拝はまた前と同じ。御先達が参入。礼拝は例のごとし。神宝 南の庭に立つ〔北面・庁官監臨の 行事〕。まず御禊が終わり、大麻庁官がこれを取る。神宝を撫で、次に一条少将に伝え進める。少将はこれを取り、陪膳源宰相中将に進める。
陪膳人が簾の中に進み、人形前々のごとし。御先達以下順番にこれを引く。次に撒御注連。御先達がこれを行なう。便宜所においてこれを焼くのか。次に出御。

先の御先達の進めた御杖は、源宰相中将に伝え進めるのか。予らは松明を取り庭の上に並んで居る。
宰相中将と信能朝臣が御輿に寄る。次に上北面の輩が御輿に寄る〔便宜所これに寄る〕。この間、公卿・殿上人は門外に列んで居て御送り。乗御の後、予は門外に出る。人々は松明を取り、前を行く。

道筋、行列。
 まず神宝、行事庁官、検非違使右府生信成がこれに相添う。
 次に御先達、
 次に公卿、
  民部卿長房卿〔高折烏帽子〕・源宰相中将有雅卿、
 次に殿上人、
  左少将信能朝臣〔浅黄大帷を着る〕・権右中弁宗行朝臣・少納言頼ー巳上松明を取る、御輿前にお仕えする。蔵人藤康定〔後陣にあるとのこと、御歩の間は近辺程にお仕えするのか〕

御送りの公卿、源大納言〔(久我)通光〕・土御門中納言〔(源)定通〕・大炊御門宰相〔(藤原)仲経〕・左衛門督〔(藤原)教成〕・坊門宰相中将〔忠信〕、
殿上人、東宮権亮(鷹司)頼平朝臣・前左衛門佐(高階)経時朝臣・少将(藤原)範茂朝臣・右馬頭(藤原)親忠朝臣・左少弁(藤原)定高・九重維成朝臣らが相加わる。
道者が先に行き、殿上人は一人一人松明を取る。ただし於道者々殊候御輿の前に。
次に御輿〔菊八葉の網代。袖は金銅を以て菊八葉を打ち透かす。御簾は例の如く十葉文、雨皮(あまかわ:雨天の際、牛車・輿などにかけた覆い)は菊八葉文がある。(※網代輿は、網代を張り、黒塗りの押し縁(ぶち)を打ちつけた輿。上皇・親王・摂政・関白が用いる)〕
御輿は如在之礼也。交御女房に御交りになり密々に後陣を御歩きになるとのこと。
造道地蔵堂前で御輿をを留める。ここから御乗りになるためである。人々はなおもって先に行く。
次に女房御輿3挺、小御所女房・大納言殿・民部卿殿・丹後殿。
次に騎馬女房3人。雑仕1人・次雑仕1人・女官1人・刀自(とじ:下級の女官)1人。
宮内卿殿・大輔・出雲、ただし歩行の間、於馬者先に行く。路旁から近辺これを引くか。
次に上北面の輩4人〔木工権頭(藤原)清実・大隈守(藤原)康業、左馬権頭忠綱・散位信経〕。
次に侍、下北面。隼人(藤原)成重・左衛門尉紀久政・左衛門尉藤秀能。
西面。左兵衛尉源湛・右兵衛尉藤景家・加須屋(糟屋)乃三郎藤有久。
次に進物所。
次に庁。
主典代使右衛門志安部資宗
庁官、左衛門志盛光・府生信成・官吏生康直・同官公成
   以上、近例により神宝に相添う。各々先に行くのか。
辰の刻、御船寄に御着きになる〔鳥羽南門より南の河原、□□□がこれを設ける〕。御船左右河□(岸か)幕を引き板を打ち構える。
御船は前もって几帳(きちょう:間仕切り)を出す。
次に寄(両か)御船。源宰相中将・一条少将が前に進み出てお仕えするのだ。
民部卿・権弁が御船にお仕えするとのことを内々に定められ仰せになるとのこと。よって慎んでお仕えする。御先達もまた慎んでお仕えする。
予と宰相中将・少将らは私船に乗る。御送りの人々はここから所罷帰るのだ。

巳の刻に美豆浜に御着きになり、御輿を置く。石清水に御参りがあるためである。御幣が先に行く〔庁官がこれに添う〕。乗御の後に予らは騎馬で先駆け。まず宿院内において御禊がある。
御輿は楼門に向かい、奉って居る。その前に八足を立てる〔前もってこれを立てる〕。宗行朝臣が前に進み出て、御幣を取って立つ〔ある2人がこれを取るか〕。
次に御贖物を供える。陪膳は宰相中将、役〔信能朝臣・頼ー。〕晴光朝臣が例のごとく御禊を勤める。
次に高良使を立てられる。宗行朝臣が主典代・庁官らを相率いて出向く。里神楽らが同じく相従う。宗行朝臣が御幣を取り、俗別当に授ける〔主典代がしきみを敷く〕。
祝詞が終わって、主典代が禄をお与えになる。次に里神楽などがある〔同じく禄をお与えになる〕。
この間御輿於宿院南廻廊砌。当彼宮前奉 居。御所作などがあるか。
次に御前に参御。

公卿・殿上人は先駆け。廻廊内殿上人2人・上北面2人が奉 御輿。次に輿3挺。
御宮廻間廻々、廊外参会。まず御奉幣。宗行朝臣が御幣を取り、神職にお与えになる。俗別当が祝詞を申す〔主典代がしきみを敷く〕。祝詞が終わって、主典代が大 1領を取り、これをお与えになる。
主典代・庁官らが禄物などを相具す。候儲御前左方廻廊戸辺。
次に御神楽、八女2人・唱人6人。次に各々禄をお与えになる〔八女絹各1疋、主典代がこれを取る。唱人白布各1反、庁官がこれを取る〕。
次に別当に禄をお与えになる〔被物1色、信能朝臣がこれを取る。別当所候儲御前右方廻廊内砌辺〕。

次に御経供養がある。御導師〔権少僧都隆円〕・題名僧3口〔宮寺請定之〕。
御神楽が終わって、宮寺奉仕堂荘厳〔御注進付宮寺〕。御前の廊においてこの事がある。すなわち祝詞を奏上する所である。説法の間、灯明を燃やさせる。説法が終わって、布施をお与えになる。
 御導師 被物1色、宰相中将がこれを取る。藤蔵人為手長、裏物、宗行朝臣がこれを取る。
 題名僧 裏物各1、宗行朝臣・頼ー・康定がこれを取る。

次に御誦経。宮寺僧が同じくこれを勤める。予が布施を給う〔紙箱1〕。
次に武内に参御。殿上人・上北面が同じく御輿にお仕えする。御幣・神楽は例のごとし。
次に若宮に参御。若宮王子に御幣を相具す。宗行朝臣がお伝えになる。俗別当が祝詞を奏上する〔主典代が先のごとく、しきみを敷く〕。祝詞が終わって、禄をお与えになる。被物1色、主典代が同じくこれを取る。

次に御神楽。八女2人が舞い終わり、絹各1疋をお与えになる。庁官がこれを取る。唱人6人、白布各1反、庁官がこれを取る。
事が終わって出御。
予らは騎馬で先に行く。
木津殿において御養事があるとのこと。よって別当がこれを用意する〔庭上造鶴立之〕。公卿・殿上人座以下居饗。しかしながら入御はなし。よって御破子内々に御船を進めるか。

未の刻(※午後2時頃)に渡部に着御〔構御船寄打板である〕。御輿を寄せて、すぐに大渡王子に参御。
まず行事庁官打御正体絵馬、八女らが神殿において○(脱字か)。
次に御幣。宗行朝臣がこれを取り、御先達に授け、祝詞を奏上する。小先達にお与えになる。々々々庁官にお与えになる。々々宝前に置く。

次に御灯明を供える〔三木丁上居小土器盛之、火を燃やす。庁官が同じくこれをつとめる〕。
次に御経供養事がある〔心経・千手陀羅尼置折敷、庁官がこれをつとめる〕。御導師隆円僧都が床子(しょうじ:腰掛け。寄りかかりがなく、敷物を敷いて使用した)を敷く。相具打鳴啓白、布施をお与えにならない。
次に里神楽。鼓笛1声。夕日之聞断腸、神はどうして無冥助か。庁官が禄をお与えになる。疋絹各1疋。

次に公卿以下の馴子舞がある。興がないことはない。予はことに以て無其骨、太以堪え難い。王子の御前の事は、後々、これを以て依って知ることができる。
次に坂口王子に参御。毎事、前に同じ。
次に郡戸王子に参御し、申の刻(※午後4時頃)に天王寺に着御。すぐに金堂に参御。 入御輿。信能・宗行朝臣らと康業・忠綱が奉 之。女房が同じく参りお仕えする。

次に○(脱字があるか)輿於石階上著牟志参御前、その後、輿3挺
を 退。前と同じく御誦経案立之。御導師〔寺僧請定之〕御布施〔綾被物1色、信能朝臣がこれを取る。裏物1、予がこれを取る。祓戸から進み出て布施を給う〕
次に十禅師布施〔各裏物1、信能・宗行・予・藤康定らがこれを取る。西の庇に列居。同じく祓戸から進み西に給うのだ〕
終わって奉り舎利に出御とのこと。御布施砂金3両・絹3疋〔行事庁官祓戸において付寺家〕。
次に別当に禄をお与えになる〔今度ははっきりしない。尋ねるべし〕。 
宗行朝臣相共に宿所を退出。黄昏以後に行水の所作。終わって御所に参り庁官を召す。立明勤めさせるのだ。
御浴以後、御先達が参入。御拝は例のごとし。予は宿にいる。進物所進例膳。

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(てつ)

2010.10.30 UP
2020.9.1 更新

参考文献