■ 熊野旅行記 |
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◆ 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』(現代語訳1) |
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承元4年(1210年)の修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資の記録『修明門院熊野御幸記』を現代語訳してしてご紹介します。 修明門院(1182年〜1264年)、藤原重子(ふじわら の しげこ/じゅうし:高倉重子とも)は、後鳥羽天皇(1180年〜1239年)の後宮で、順徳天皇・雅成親王・寛成親王(尊快入道親王)の生母。藤原重子(ふじわら の しげこ/じゅうし)。高倉重子とも。 数ページに分けて口語訳します。このページは4月17日から20日までの分。
お気づきの点などございましたら、ぜひご教授ください。ご教授を受けながら徐々によい訳文にしていきたいと考えています。メールフォームはこちら。 4月17日 承元4年4月17日、甲戌(きのえいぬ、こうじゅつ)。今日、修明門院が院号の宣下を受けて後、初めて熊野御幸があり、よって精進屋に入御の日である。天は晴れ、風は静か。権現冥助之先表以之知るべし。
権右中弁(葉室)宗行朝臣が早朝に図書頭(賀茂)在親朝臣を召して日時を考えさせ、箱に入れて、これを奏上する。 まず御禊装束を供える。御拝仮屋三面懸亘伊予簾(南面御階以西砌の下にこの仮屋はある)。その中に□筵2枚を供え、その上に高麗半帖を供える。その北に膝突〔円座〕を敷き、陰陽師の座にする。次に権弁が御幣を取って〔庭の中でこれを取る。庁官がこれを伝える〕、御先達に献じる。御先達は南に向いて勧請〔この間、庁官が御花米を置く〕。々々が終わって小先達・宰相律師が幣を給い、南庭ナギの柴垣の上に立てる。 次に御注連を引く。波介札をなどを立てる。御先達がこれを行なう。 御拝屋の御注連は上北面大隈守(藤原)康業・左馬権頭(藤原)直綱らが進み出て、これを引く。御所にするためである〔先崎は侍がこれを引くか〕。余りの所々から庁官・召使らがこれを引く。 次に取り下げる半帖筵1枚上敷御皮〔殿上人がこれを致す〕。御拝の所あるべし。今度、御障の間、御拝座無出御。御浴の後、注連を引く。御所に御座。御拝はなしとのこと。よってこの儀式はなし。 次に夕御膳を供える〔朱漆御盤・基埦御器〕。まずご御飯上分を取り、食棚の上に置き施す〔番衆の役である。この棚は南庭のナギの柴垣の上にこれを立てる。前もって所立設けるのだ〕。公卿・殿上人・上北面食事進物所がこれを設ける。よってこれを行なって宿所に退出。 精進を始める。先達がこれを行なう。夕方、所作が終わって御所に帰参。宿でお仕えする。
4月18日 十八日、乙亥(きのとい、いつがい)、まだ曙の間、庁官らが相率いて参入。 御膳3度、常のごとし。進物所が進めるのだ。
4月19日 十九日、丙子(ひのえね、へいし)、天気晴れ。
4月20日 二十日、丁丑(ひのとうし、ていちゅう)。朝から甚だしい雨。
漢文は不得手なので、間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、ぜひご指摘ください。メールフォームはこちら。 (てつ) 2010.10.30 UP ◆ 参考サイト・参考文献
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