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◆ 藤原定家『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』(現代語訳3)


 後鳥羽院の建仁元年(1201年)の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家(ふじわらのさだいえ、1162年〜1241年)が書き残した日記『熊野道之間愚記』の現代語訳。10月13日から16日の分まで。

 『熊野道之間愚記』は、藤原定家の日記『名月記』から後鳥羽院の熊野御幸に従ったときの部分を抄出したもの。「後鳥羽院熊野御幸記」 「熊野幸庫記」「熊野御幸道之間記」「熊野詣記」などの別名があります。

 とりあえず現代語訳しましたが、漢文の素養がないのでたくさん間違いがあるかもしれません。また訳せなかった箇所もあります。お気づきの点などございましたら、ぜひご指摘ください。メールフォームはこちら

熊野道之間愚記 略之 建仁元年十月

 十三日 天気晴れ

明けがたに御所に参る。
いまだ格子戸(※蔀戸※)を上げていない。
先達が参って御拝所を設ける。
近臣の人々がいまだ出てこない間に、早出して先駆けする。

秋津王子に参る。春宮権太夫(※とうぐうごんのだいふ、ここでは藤原宗頼、1154年〜1203年※)が参会する。
また山を越えて丸王子(※万呂王子※)に参る。
次にミス山王子(※三栖王子※)、次にヤカミ王子(※八上王子※)、次に稲葉根王子〔この王子は五躰王子に准じて事ごとに分に過ぎるとのこと。御幸の儀式は五躰王子と同じにするとのこと〕。
次に昼養の宿所に入る。

馬はこの場所より停めて師に預け置き、これより歩いて、石田川を徒渉し、まず一ノ瀬王子に参り、徒渉し次にアイカ王子(※鮎川王子※)に参る。
川の間は紅葉の浅深の影が波に映じて、風景が素晴らしい。
〔川の深い所は股まで及ぶが、袴をかかげないのとのこと〕

次に、ごつごつして険しい山を登り、瀧尻宿所に入る。
川瀬の音が岩石を犯すような瀬音のなかにある宿所である。
夜に入って歌題をくださる〔使者が遅れて来るとのこと〕。
すぐにこれを詠じ持参する。
例の如く披講の間に参入し、読み上げ終わり(題又参入し、これを読み上げる)退出し、この王子(※滝尻王子※)に参り宿所に帰る。

   河辺落葉

 そめし秋をくれぬとたれかいはた河
  またなみこゆる山姫のそで

紅葉に染まった秋を終わったと誰が言ったのか。石田川の波の上を過ぎて流れていく落ち葉が山姫の着物の袖のようだ。

   旅宿冬月

 たきがはのひびきはいそぐたびのいほを
  しづかにすぐるふゆの月かげ

流れの速い川の響きはいかにも急いでいるが、急ぐ旅の庵を静かに通り過ぎる冬の月の光。

一寝した後、輿に乗る。
(輿かきの装束は師に送る事)
〔師がこれを手配した。力者12人は予が手配する。
件の法師たちの裝束12人分を揃えて師に布施として送った。紺藍摺(こんあいずり)の上着ばかりである。頭巾も同じく揃える〕
今夜、昼養の山中の宿に着く。
ここはまた不思議で奇異な小屋である。
寒風がはなはだ堪え難い。

 

 十四日 天気晴れ

明けがたに山中の宿を出て、重点王子(※十丈王子※)に参る。
次に大坂本王子に参り、次に山を越えて近露宿所に入る。
〔この時に日出の後である〕
滝尻からここにいたるまでごつごつでこぼこの険しい山道で、目が眩み、魂が転んで恍々とした。

昨日、川を渡って、足をいささか痛める。よってもっぱら輿に乗る。
〔この宿所は御所に近く、田を隔ててある〕
午の時(※今の正午頃。また、正午から午後2時まで。または午前11時から午後1時までの間※)の終りころに御幸〔歩き〕終わる。すぐに題をくださる。
また二首。

   峯月照松

 さしのぼるきみをちとせと見山より
  松をぞ月のいろにいでける

差し昇る貴方さまは、まるで長い年月光り続けるあの月のようです。御山より眺める松が、月の色に映えています。

   浜月似雪

 くもきゆるちさとのはまの月かげは
  そらにしぐれてふらぬしらゆき

雲が消えた千里の浜の月の光は空に時雨れて、降りはしないが、白雪のようです。


本日の披講である長房朝臣(※藤原長房、1168年〜1243年※)がこれを注して送ってくる。
驚き、すぐに持参する。間違ったことがあったのだ。
上皇様はお食事の最中とのこと。すぐに退出。

灯りがともって以後にまた参上する。
講縁阿闍梨のお召しによって蔀の外に参り読経する(読み上げてから退出)。だいぶ経ってからお召しがあり、御前に参り、また読上げてから退出。
すぐに〔この時、亥の時〕輿に乗り出発し、川を渡り、すぐ近露王子に参る。
次にヒソ原(※比曾原王子※)、次に継桜、次に中の河、次にイハ神(※岩神王子※)とのこと。
夜中に湯河宿所に着く。
〔道はごつごつして険しく、夜に行くのははなはだ恐ろしい〕
風が寒く、なす方なし。時ならぬ水(コリ)がある。

 

 十五日 天気晴れ

夜明けの後に水垢離〔疲労のひどい間は寝付いてしまった〕。それが終わって御所を見て礼して〔この宿は甚だ寒かった。山のせいだ〕、また出発。
〔ここが今日の上皇一行の御宿であるが、なお先陣する〕

今日の王子は湯河、次に猪鼻、次に発心門
午の時ばかりに発心門に着き、尼南無房の宅に宿す。
〔この宿は尋常である。件の尼は京より参会。互いに逢って会釈。あこめを着る所をくださる〕。
この道中、常に筆硯を持っておらず、また思うところがあり、いまだ一事も書いていない。
〔他の人はおおよそ王子毎に書き署す〕。
この門の柱に初めて一首を書く。門の巽(※南東※)の角の柱である〔閑かな所である〕。
発心門一句二首。

 慧日光前懺罪根 大悲道上発心門
 南山月下結縁力 西刹雲中弔旅魂

太陽のような仏の智慧の光の前で、悟りの障害となる罪悪を悔いる。大きな慈悲の道上にある発心の門。熊野の月の下、仏と縁を結ぶ力。西方極楽浄土の雲の中、仏様が極楽浄土を目指して旅する魂を弔ってくれている。

 いりがたき御のりのかどは今日すぎぬ
   いまより六(むつ)のみちにかへすな

入りがたい仏法の門を今日過ぎたのだ。今から六つの輪廻の道に引き返すな。


この王子の宝前は、殊に信心を発す。
紅葉は風にひるがえり、宝殿の上四五尺、木が隙間なく生じる。その多くは紅葉である。
社の後、尼南無房の堂がある〔この内にまた一首書き付ける。後に聞いたが、この尼は制止して物を書かさせないとのこと。知らずして書いてしまった〕。
また水垢離。終わってから王子の御前に出て所作した。月が山の間に出る。

今日の道は深山で、樹木が多く、苔が生え、木の枝にかかる。藤枝のようで、遠くから見るともっぱら春の柳に似ている。 (木の枝に懸かる苔

 

 十六日 天気晴れ

明け方にまた発心門を出て、王子2〔内水飲祓殿〕、祓殿から歩いて目指し、御前に参る。山川千里を過ぎ、ついに宝前に拝み奉る。感涙が禁じがたい。
それから宿所に入り、明け方、更に祓殿に戻って参る。
〔左中弁(※藤原長房※)は夜からこの辺りにいる〕
御幸をお持ち申し上げるためだ。
ただしまだ数刻あるので、近辺の地藏堂に入る。
〔宝前に参る事〕

衣食を取り寄せしばらく経って、巳の時(※今の午前10時頃。また、午前9時から午前11時の間。または午前10時から午前12時まで※)のころに御幸があった。お供して宝前に参る〔公予これを濡藁沓(ぬれわろうづ)の入堂というとのこと〕。
すぐに御所に入御(にゅうぎょ)して、終わってすぐ退き下がる。

コリ(垢離)。終わって奉幣の装束を着て〔新物、立烏帽子(たてえぼし)、ハバキ(※脚絆※)、ツラヌキ(※毛皮で作った乗馬用・狩猟用の浅沓※)〕(御奉幣して)帰参。

数刻の後、出御、御奉幣。
(その間の事)
左中弁(※藤原長房※)が金銀の御幣を取ってこれを進める〔お取らせなさって御拝〕。
この間に、親兼朝臣は白妙の御幣を取って御拝を終える。
社僧〔法眼〕が取り合い、祝詞を奏上する。

先ず証誠殿。
次に両所〔御幣は2本、前後両段を御拝。一社のような儀式だ〕。
次に若宮殿〔御幣5〕。
次に一万十万御前〔御幣4、御拝はみな前のと同じ〕。
(御所の御拝は御幣の先を右に持たしめたまう)

祝詞を奏上して退く間、予は被物(※かずきもの、顔を隠すため頭から衣をかぶった衣※)を取ってこれを給う。これは所々毎度の事である。〔立ちながらこれを給う〕
すぐに御経供養の御所に入御〔礼殿(※らいでん。熊野三山固有の建物。本殿の前方に位置し、神仏習合の中で熊野三山独自に発展してきたと考えられる※)とのこと〕。
公 卿(※くぎょう。公は太政大臣、左・右大臣、卿は大・中納言、三位以上の朝官および参議※)は西にいて、殿上人(※上皇・女院・東宮などの殿上の間に昇る ことを許された者※)は東にいて、御誦経は俊家朝臣、親兼朝臣が布施を取り、次に公胤法印の御経供養が終わって、公卿〔被物〕、殿上人が布施を取り、終わって予は退き下がる。

この間に舞・相撲(御加持、引き出物)などが行なわれたとのこと。その儀式は見ない。
咳病がことさら起こり、なす方なし。心神無きがごとし。殆んど前途を遂げ難し。腹病、あげくだしなどが競い合う。

灯りがともって以後またコリ〔この事は時に応じて行なう。病のせいでなす術無し〕。
また昼の装束(※ひのしょうぞく。束帯※)を着る。
先達と共に御前に参り奉幣する〔私奉幣〕。その儀式は昼の御拝のようだ(公私で変わらない。幣の先は左に向けて)。

衆人の狼藉はあさましい〔経供養の事〕。
次に経供養所に入る。〔人が多いので西経所とのこと〕。
導師が来て説法して、布施を置いた〔被物1・裏物〕。
次に火に滅す〔炉に火がある〕。
加持僧12人が来て加持し、布施を置き〔貧乏により綿各7両〕、退き出る。
この経所の路より宿所に入る。

病で倒れそうになるのを支えて、また御所に参る。
数刻、寒風にさらされ、病身にはなす方なし。
夜中に召し入れられる。

2座の和歌、
発心門の分2首

  遠近落葉 暮聞河波、     
  歌はおよそ尋常でなかった。希有の不思議である。
  予は疲労し、病の苦しみにはなす方なし

(和歌2座事、発心門本宮序)
本宮3首、内府(※内大臣※)の序がある。
読み上げ終わって退出。
心中なきが如し。まったくなす方なし。

 

 間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、ぜひご指摘ください。メールフォームはこちら

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(てつ)

2009.2.18 UP
2009.6.6 更新

2010.10.29 更新

 ◆ 参考サイト・参考文献

ゆーちゃん(歴史好きの百姓のペ−ジ)
 熊野御幸記(読み下し)

『本宮町史 文化財篇・古代中世史料篇』

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