■ 熊野参詣記

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◆ 『熊野道中記』(現代語訳9)浜の宮〜田辺


 『南紀徳川史』に収められている「熊野道中記」。

  1. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳1 若山〜湯浅
  2. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳2 湯浅〜印南
  3. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳3 印南〜芝村
  4. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳4 芝村〜伏拝
  5. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳5 伏拝〜本宮
  6. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳6 下り船
  7. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳7 新宮〜浜の宮
  8. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳8 浜の宮〜那智〜湯の峰
  9. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳9 浜の宮〜田辺
  10. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳10 新宮〜伊勢道
  11. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳11 熊野御幸定家記所載王子,果無越

 これは誤記かもと思う箇所は訂正しています。また訳せなかった箇所などもあります。お気づきの点などございましたら、ぜひご教示ください。ご教授を受けながら徐々によい訳文にしていきたいと考えています。メールフォームはこちら

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  丹敷戸畔祠 渚の宮の北の方に小さな叢祠がある。錦浦明神という。

 浜の宮  天満宮へ7町半  イに半里
    渚森本哭澤森

  帆立島  浜の宮より天満への道の左、海中に見える。
       補陀落渡海の時、舟がここで帆を上げると相伝える。

  天満村   湯本へ12町 イに半里

  左 勝浦          
   松音寺  白川法皇の御影がある。 駿田坂

  湯 本  湯川ともいう。湯本川     11町半

  橋の川  橋の川は歩いて渡る。     17町半

  二河川  温泉がある。       市屋へ35町 イに1里

   夏山 南の浜にある。峯に弁天がある。

   光明窟 入口は9尺四方ばかり。窟の内は十坪ばかり。
       末は次第に狹くなる。那智へ抜け通るという。

  市 屋   庄村へ9町 イに10町

   森が浦

   太地浦  太地へ廻るのは、市屋より森が浦へ。それより太地。
        それより20町程で下里へ出る。
     太地角右衛門という先祖が鯨突を始めた者である。
       昔、鎌倉尼将軍が熊野詣詣の時、この浦に一宿なさって、
       角右衛門の先祖に頼の一字をくださったとか。

  庄 村   浦上へ1里

  下里村  左 磯崎

   高 芝  粉白浦

   玉の浦   粉白村の西南10町ばかり、長さ2町ばかりの所をいう。
         隣村の東辺30里。
         島より西の方のむしくい島まで浜の間の風景がよい。
         この地を玉浦というべきなのではという説がある。

    万葉 荒磯にもまして思ひや玉の浦離れ小島の夢にし見ゆる

(訳)荒磯よりもいっそう心ひかれたからか、玉の浦の離れ小島が夢にまで見える。

    夫木 小夜更けて月影寒し玉の浦離れ小島に千鳥鳴くなり   忠盛

(訳)夜が更けて月の光が寒々しい玉の浦であることだ。離れ小島千鳥が鳴く。

       玉の浦離れ小島の潮の間に夕あさりして田鶴は鳴くなり 衣笠内大臣

(訳)玉の浦の離れ小島で、夕方の潮の引いている間に、餌をあさって鶴が鳴く。

       ぬれてほす沖の鴎の毛衣に又打ちかくる玉の浦なみ   西行

(訳)濡れたは乾かす沖のカモメの羽毛にまた打ちかかる玉の浦の波。

  浦 神  1里

  下田原  1里 イに30町

  津 荷  1里半 イに17町

  古座浦   イに神河まで10町   西向井へ18町
    川口より左向かいの遠くに橋杭並びに上野の臺が見える。
    と千川の滝は古座川の上、西川より3里程奥。

   古座川  長さ10里ばかり。
        大きな椎の実が出る黒島といって茂った島がある。
        この川を上流に向かって半町程行くと御目付屋敷がある。
        中港という所である。

 西向井村  古座の向かい、舟渡し。三町ばかり。  神の川へ6町

  河内明神 古座川筋の宇津木村の手前にある。

  木の本  串本村にある。住吉三社とのこと。新宮の末社である。
       一説に少彦名命を祭るという。

  潮御崎明神 上野浦水崎にある。
    少彦名を祭るという。
    『日本書紀』に、
    少彦名命行きて熊野の御崎に至りて遂に常世国に適でましぬ云々とある。
    『三代実録』に神位を授けられたことが記されている。
    那智の支配とのこと。

 神の川村  13町 イに26町

 伊串村   15町 イに10町  橋杭とて海中に岩がある。

 姫 村   ここに黒い砂石がある。那智黒という碁石である。
       鬮川へ18町 イに20町
  向かいに 大島 須江 樫野  いずれも小島である。民家がある。
   姫村より右へ行くと本海道で鬮川へ出るのだ。
   左へ行くと島崎浦に出る。この道は上野々原といって広い原があるという。

 汐崎浦 汐の岬とも燈明がある。廻船のためである。汐崎権現がある。
    片潮の所、西より東へ流れるのは下り潮という。
    東より西へ流れるのを上り潮という。上り潮は年久しく下り潮は年短い。
 鬮 川   16町 イに20町

 二色浦  錦の袋といって港がある。  七町 イに10町 

 二部浦  (くゝり岩) 28町 イに1里

 有田浦  23町 イに半里

 田並浦  19町 イに半里  そしま岩の中程に穴がある。

 江 田  20町 イに半里  

 田 子  30町 イに半里  沖に横島がある。

 和 深  25町 イに31町

 里 浦  1里 イに28町
  しるたれ坂

 江 住  28町 イに20町
    しもく山 ゑびす岩

 見老浦  和深川へ1里18町 イに1里半
  口和深村 和深山 風折山ともいう。
  長(枝)坂 上り25町程険しい、下り8町

 和深川村  1里10町 イに1里半あるいは1里ともいう

  馬ころび坂

  王 子  和深川村の中道の右にある。

  和深山  同村の中、道の左にある。
        わふる山岩間に根さすそほれ松わりなくてのや老やはてな

(訳)

  清 輔

  岩田川  富士川の上岩田村の上をいう。

  神 島  新庄村はずれより左、向山鼻の後をいうとのこと。

 形見浦   同所

  呼上關跡 新庄村の中道より右にある。

  磯間ヶ浦 神子領港村の内つぶり坂の下口より左、山の間より遠く見える。
    新後拾遺 梓弓磯間が浦に引あみのめにかけながらあわぬ君かな  為家

(訳)

 周参見    安居へ1里10町 イに1里半

  この間に仏峠 凡鬮川より周参見まで四十八坂がある。小坂である。
  山越に田辺道がある。
  谷川舟渡し、日並浦へ引くと廻りである。
  ほら谷  滝がある。周参見より1里ばかり。

 安 居    1里23町 イに3里

  富田坂

 富 田    2里7町 イに1里

 且来村   1里半

田 辺

 田辺より   湯崎へ舟渡し3里。

  陸 地

 風莫浜  瀬戸と田辺の間の浜である。 網しらずともいう。

    万葉 風莫の浜の白浪いたづらにこゝに寄せ来る見る人なしに 意吉丸

(訳)風があっても風莫の浜と呼ばれる浜の白波は、ただ無性に寄せてくる。見る人もいないのに。

 江 浦

 瀬戸浦  建仁元年十月熊野御幸の時右馬介源家長
        冬のきてまたつけ初ぬ雪の色に同じ白良の浜の月かげ

(訳)冬が来てまた雪の色になり始めた。その色と同じな白良の浜の月の光。

 湯崎 鉛山
  温泉 崎の湯 屋形の湯 浜の湯 元の湯 まぶの湯
  外に擂鉢程であるあわ湯がある。石垣の下にある。とりわけよい湯である。



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2011.3.30 UP

 ◆ 参考サイト

ゆーちゃん(百姓生活と素人の郷土史)
 熊野道中記
  他にも熊野関連の資料の電子テキストがあります。

 
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