■ 熊野参詣記

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◆ 『熊野道中記』(現代語訳8)浜の宮〜那智〜湯の峰


 『南紀徳川史』に収められている「熊野道中記」。

  1. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳1 若山〜湯浅
  2. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳2 湯浅〜印南
  3. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳3 印南〜芝村
  4. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳4 芝村〜伏拝
  5. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳5 伏拝〜本宮
  6. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳6 下り船
  7. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳7 新宮〜浜の宮
  8. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳8 浜の宮〜那智〜湯の峰
  9. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳9 浜の宮〜田辺
  10. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳10 新宮〜伊勢道
  11. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳11 熊野御幸定家記所載王子,果無越

 これは誤記かもと思う箇所は訂正しています。また訳せなかった箇所などもあります。お気づきの点などございましたら、ぜひご教示ください。ご教授を受けながら徐々によい訳文にしていきたいと考えています。メールフォームはこちら

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浜の宮より 那智まで50町

   浜の宮を土地の人は三所権現を祭るという。名寄に渚の森というのがある。
   この社内に渚森というのがあるので渚宮というべきか。
     夜もすがら沖の鈴鴨羽ふりしてなぎさの宮にきねつゝみう 源仲正

  補陀落山 左千が手観音3尺の立像。堂七間四面。裏道より通りへ出る。

  大へら石 沖にある。二色が浦。

  小へら石

  太刀落島 ここに一間四方の石がある。
       押せばことく鳴くのだ。よって山鳴というか。

 川関村   八幡宮がある。

 井関村   妙法山への道がある。
       左の山手に銅山が見える。妙法山に行く道筋である。

  銅山  続日本記曰大寶三年五月巳亥令紀伊國奈我
      名草停布調獻絲但阿堤飯高牟漏三郡獻銀也

  市野々村  千代が井道の右、山根にある。市野々王子の道の右の山手。

  光峯   市野々村の道の右の山の峯。

  天照大神顯向石 同村の中。王子より先、道の右の方。

 二の瀬村  茶屋より瀧が見える。

  多富家王子 那智山の坂の内1里ほど上り右。

  下馬  石碑に禁殺生穢忌とある。

  青崖寺鳥居 前に茶屋がある。これより内、魚類を禁ず。

  山門額  日本第一大霊顯所根本熊野三所権現

  二王門  石段の坂である。町石がある。

  本社   事解男命を結宮を号し、巽に向く  十二社

  拝殿   弥勒堂  神楽所

  如意輪観世音 真言宗12間に12間。鰐口唐金大きさ3尺ばかり。
    下馬より6町登り、右へ行く道がある。瀧の本への道がある。6町ある。

  那智山 夫木 又たゝひなちのお山にすむ月の清き光に松風ぞふく 後鳥羽院

(訳)また 那智のお山に澄む月。その清い光に松風が吹く。

         遙なる那智の濱路過てこそ浦と海との果は見えけり 俊成

  帽子石  下馬より坂を上り、尻ふり坂峠より見える。

  瀧本観音 1寸6分

  瀧見堂  右2間に3間である。

  一の瀧  本社より北6町ばかり。
       高さ百間ばかり、横幅は7〜8間ばかりある。
       水口に釣鐘石螺貝あり。坂の下に花山法皇宸筆の写□がある。
       太上天皇垣仁驛安年十月朔日初度
    毎年6月17日瀧登である。
    山上に不動明王姥かふところ 猿すべり はかり石

  二の瀧  右峠より6町ほど下る。本社より西22町、高さ30間ばかり。
       一の瀧より小さい。道に剣が淵がある。
       一の瀧の上、40間ほど水上である。
    山家集 二の瀧の本へ参り着きたり。如意輪の瀧となん申すと聞きて
       拝みければまことに少しうち傾(かたぶ)きたる様に瀧流れて
       下りて尊く覚ゆ云々。

  三の瀧  本社の西北25町ばかり。高さ10間ばかり。
       禅定のこらず廻って堂の脇より雲取坂へ掛る7〜8町上り。
    続古今 なちの山遙におつる瀧つせにすゝぐ心の塵も残らじ 式就門院御醫

(訳)那智の山に遥かに落ちる滝にすすげば心の塵も残るまい。

    夫木 石ばしる瀧にまがひてなち山の高根を見れば花のしら雲 花山院

(訳) 那智の高嶺を見ると花の白雲。

    山家集 三重の瀧みけるに殊にけうとく覚えて
        三業の罪も雪かるゝ心地しければ
      身につもる詞の罪もあらはれて心すみぬる三かさねの瀧

(訳)身に積もる言葉の罪も洗われて心が澄む三重の滝。

  辨の瀧  本社の西北21町ばかり。側に弁財天があるゆえに名付ける。

  新客瀧  本社の南3町ばかり。瀧本での初めての行はここで修すという。

  文覚瀧  本社の方6町ばかり。文覚が荒行したのはこの瀧である。

  最勝ヶ瀧 二の瀧壺の右の方。高さ70~80間ほど。

  屏風岩  二の瀧の前の山にある。

  柴燈護摩の段 二の瀧より4町余り。脇にある。

  不動堂  護摩の段のわき。

  布引瀧  護摩の段より2町程脇にある。

  花山法皇御室跡 不動堂より2町ほど脇にある。南向石がある。
          昔の茶碗2つを御茶台石の櫃に納める。

  桜の朽木 花山法皇の御屋敷跡の前
    花山法皇御製
      木の本をすみかとすればおのづから花見る人と成にけるかな

(訳)桜の木の下を住処ととすると、花を見る人に自然に(自分の意志とは無関係に)なってしまいそうだなあ。

    風雅 那智の山に花山院の庵室のありけるうへに桜の木の侍るを見て
       すみかとすればと読ませ給ひけるを思ひ出られてよみにける
        木の本に住ける跡をみつるかな那智の高根の花をたづねて 西行

(訳)那智の高嶺の桜の花を尋ねて、桜の木の下に花山院が住処とされ、心を澄まされた跡を見たことだ。

  妙法山  上野院阿弥陀寺という。弘法大師開基。
       浜の宮より50町。那智観音より25町。

    那智山より湯の峯路

那智山より登り 30町

あかり茶屋より 25町

  舟見峠  高い峠である。
       「左に出ているのは太地鼻 右に出ているのは汐の岬」
       30町 この間に八町坂というのがある。下りである。

  貝餅茶屋 12町  右に地蔵がある。

  地蔵茶屋 春旅人が多い時は茶屋がある。冬はなし。 8町

  越前   この間下り坂 25町

  楠の窪  在内広い。右の方は谷川より手前、皆大山村である。
       向かいの方を東村という。25町、これを胴切坂という。
       木口前に円座石がある。
       川がある。舟渡し。これまで大雲取。

  木 口  小畝與七茶屋、これより小雲取。 50町

  桜茶屋            25町

  石 堂            30町

  松 畑  上の山より右に万歳峠が見える。
       本宮より新宮に陸地を行くのは万歳越という。 36町

  請 川            18町

  本 宮            32町
  湯 峯  請川より直に湯の峯へは50町である。

湯峯より見越峠へ   2里である

  東光寺  宗旨真言宗、宿屋は17〜18軒ある。
    紀伊国温泉行幸
  花山院法皇 文武帝大宝元年

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(てつ)

2011.2.24 UP

 ◆ 参考サイト

ゆーちゃん(百姓生活と素人の郷土史)
 熊野道中記
  他にも熊野関連の資料の電子テキストがあります。

 
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