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◆ 若山牧水『熊野奈智山』


 明治から昭和初期の歌人、若山牧水(わかやまぼくすい、1885〜1928)は、大正7年(1918)、33歳(かぞえだと34歳)のときに熊野を旅し、紀行文を著しています。
 若山牧水は、この旅では
人違いのために不愉快な目にあっていて、かわいそうです。青空文庫より転載。


 熊野奈智山

若山牧水

 眼の覺めたままぼんやりと船室の天井を眺めてゐると、船は大分搖れてゐる。徐ろに傾いては、また徐ろに立ち直る。耳を澄ましても濤も風も聞えない。すぐ隣に寢てゐる母子おやこづれの女客が、疲れはてた聲でまた折々吐いてゐるだけだ。半身を起して見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すと、室内の人は悉くひつそりと横になつて誰一人煙草を吸つてる者もない。

 船室を出て甲板に登つてみると、こまかい雨が降つてゐた。沖一帶はほの白い光を包んだ雲に閉されて、左手にはツイ眼近に切りそいだ樣な斷崖が迫り、浪が白々と上つてゐる。午前の八時か九時、しつとりとした大氣のなかに身に浸む樣な鮮さが漂うて自づから眼も心も冴えて來る。小雨に濡れて一層青やかになつた斷崖の上の木立の續きに眼をとめてゐると、そのはづれの岩の上に燈臺らしい白塗の建物のあるのに氣がついた。

「ハヽア、此處が潮岬だナ。」
 と、先刻さつきから見てゐた地圖の面がはつきりと頭に浮んで來た。尚ほ見てゐると燈臺の背後は青々した廣い平原となつて澤山の牛が遊んで居る。牧場らしい。

 小雨に濡れながら欄干につかまつてゐると、船は正しくいまこの突き出た岬の端を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐるのだ。舵機を動かすらしい鎖がツイ足の爪先を斷えずギイ/\、ゴロ/\と動いて、眼前の斷崖や岩の形が次第に變つてゆく。そして程なくまた地圖で知つてゐた大島の端が右手に見えて來た。

「此處が日本の南の端でナ。」
 氣がつかなかつたが私の側に一人の老人が來て立つてゐた。そして不意に斯う、誰にともなく(と云つて附近には私一人しかゐなかつた)言ひかけた。
左樣さうなりますかネ、此處が。」
「左樣だネ、此處が名高い熊野の潮岬で、昔から聞えた難所だよ。」

 日本の南の端、臺灣や南洋などの事の無かつた昔ならばなるほど此處がさうであつたかも知れぬと、そんな事を考へてゐると老人は更に種々いろいろと話し出した。丁度此處には沖の大潮(黒潮のことだと思つた)の流がかかつてゐるので、通りかかつた他國者の鰹船などがよく押し流された話や、鰹の大漁の話、先年土耳古トルコ軍艦の沈んだのも此處だといふことなど。

 かなりの時間をかけてこの大きな岬の端を通り過ぎると、汽船の搖は次第に直つて來た。そして程なく串本港に寄り、次いで古座港に寄つて勝浦に向つた。

船にしていまは夜明けつ小雨降りけぶれる崎の御熊野みくまのの見ゆ

日の岬潮岬は過ぎぬれどなほはるけしや志摩の波切なきり

雨雲の四方よもに垂りつつかき光りとろめる海にわが船は居る


 勝浦の港に入る時は雨はなほ降つてゐた。初め不思議に思つた位ゐ汽船は速力をゆるめて形の面白い無數の島、若しくは大小の岩の間をすれすれに縫ひながら港へ入り込んで行つた。その島や岩、またはその間に湛へた紺碧の潮の深いのに見惚れながら、此處で降りる用意をするのも忘れて甲板に突つ立つてゐると、ふと私は或事を思ひ出した。そして心あての方角を其處此處と見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)してゐると、果してそれらしいものが眼に入つた。深く閉した雲の下に山腹が點々と表れてその殆んど眞中あたりに、まことに白々として見えて居る。奈智の瀧である。勝浦の港に入る時には氣をつけよ、側で見るより寧ろいいかも知れぬからと、曾て他から注意せられて來たその奈智の大瀧である。なるほどよく見える。そして思つたよりも山の低いところにその瀧は懸つてゐるが、何といふことなく難有ありがたいものを見る樣な氣持で、私は雨に濡れながら久しくそれに見入つてゐた。

 入つて見れば此處の港は意外な廣さを持つて居る。双方から蜒曲して中の水を抱く樣に突き出た崎の先には、例の島や岩が樹木の茂りを見せながら次々と並んで、まるで山中の湖水の樣な形になつて居る。そして深さもまた深いらしく、次第に奧深く入り込んだ汽船はたうとう棧橋に横づけになつてしまつた。熊野一の港だと聞いたがなるほど道理もつともだと思ひながら、洋傘かうもりをさし、手提をさげてぼんやりと汽船から降りた。降りたには降りたが、其からさきの豫定がまだ判然と頭のなかに出來てゐなかつた。そして子供らしい胸騷ぎを覺えながら、兎も角もぶら/\と海岸沿ひに歩き出した。雨は急に強く、洋傘がしきりに漏る。街はまた意外に大きくも賑かでもないらしく、少し歩いてゐるうちに間もなく其處等中魚のにほひのする漁師町に入り込んだ。鰹の大漁と見え、到るところ眼の活きた青紫の鮮かなのが轉がしてある。或所ではせつせと車に積み、或所では大きな釜に入れて※(「火+(世/木)」、第3水準1-87-56)でてゐた。

 幾ら歩いてゐてもきりが無いので、幸ひ眼に入つた海の上にかけ出しになつてゐる茶店に寄つて、そこにも店さきにはうつてある鰹を切つて貰ひ、一杯飮み始めた。濡れた手提から地圖を引き出して茶店の主人を相手に奈智新宮への里程などを訊いてゐるうちに、私は 不圖ふとこの勝浦の附近に温泉の記號のつけてあるのを見出した。主人に訊くと、彼は窓をあけてこの圓い入江のあちこちを指さしながら、彼處に見えるのが何、こちらに見えるのが何、いま一つ向うの崎を越すと何といふのがあるといふ。斯う鼻のさきに幾つとなく温泉のあることを聞いて何といふ事なく私は嬉しくなつた。そして立つて窓際に主人と竝びながら其處此處と眼を移して、丁度そこから正面に見える彼處は何といふのだと訊くと、赤島だといふ。ひた/\に海に沿うた木立の深げな中に靜かに家が見えて居る。行くなら船で渡るのだが、呼んで來てやらうかといふので早速頼んで其處に行くことにきめた。

 小さな船で五六分間も漕がれてゐると、直ぐに着いた。森閑しんかんとした家の中から女中が出て來て荷物を受取る。何軒もあるのかと思つてゐたらこの家ただ一軒しか無いのであつた。海に面した二階の一室に通されて、やれ/\と腰を下すと四邊あたりに客も無いらしくまつたくしんとしてゐる。湯はぬるいがまた極めて靜かで、湯槽ゆぶねの縁に頭を載せてゐると、かすかに浪の寄る音が聞えて來る。湯から出て庭さきの浪打際に立つてゐると、小さな魚が無數にそこらに泳いでゐる。磯魚の常で何とも云へぬ鮮麗な色彩をしたのなども混つてゐる。藻がかすかに搖れて、それと共にその魚の體も搖れてゐる樣だ。雨は先刻さつきからあがつてゐたが、對岸の山から山へかけて、白雲も次第に上に靡いて、此處からもまた例の大きな瀧が望まれた。

 凪ぎ果てた港には發動船の走る音が斷間なく起つて居る。みな鰹船で、この二三日とりわけても出入が繁いのださうだ。夕方、特に注文して大ぎりにした鰹を澤山に取り寄せた。そして女中をも遠ざけて唯一人、いかにも遠くの旅さきの温泉場に來て居る靜かな心になつて、夜遲くまでちび/\と盃を嘗めてゐた。

したたかにわれにくはせよ名にし負ふ熊野が浦はいま鰹時

熊野なる鰹の頃に行きあひしかたりぐさぞもかとせこそ

いまは早やとぼしき錢のことも思はず一心に喰へこれの鰹を

むさぼりて腹な破りそ大ぎりのこれの鰹をうまし/\と

あなかしこ胡瓜もみにも入れてあるこれの鰹を殘さうべしや


 六月三日、久しぶりにぐつすりと一夜を睡つて眼を覺すとまた雨の音である。戸をあけてみると港内一帶しら/″\と煙り合つて、手近の山すら判然とは見わかない。たゞ發動機の音のみ冴えてゐる。

 朝の膳にもまた酒を取り寄せて今日は一日この雨を聞きながらゆつくりと休むことにした。東京の宅を立つたのが先月の八日、二週間ほどの豫定で出て來た旅が既うかれこれ一月に及ぼうとしてゐるのである。京都界隈かいわいから大阪奈良初瀬と※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて紀州に入り込んだ時はかなり身心ともに疲れてゐた。それに今までは到る所晝となく夜となく、歌に關係した多勢の人、それも多くは初對面の人たちに會つてばかり歩いて來たので心の靜まるひまとては無かつた。それが昨夜、和歌の浦からこの熊野※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りの汽船に乘り込んで漸く初めて一人きりの旅の身になつた樣な心安さを感じて、われ知らずほつかりとしてゐた所である。初めの豫定では勝浦あたりに泊る心はなく、汽船から直ぐ奈智に登つて、とろ八丁に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて新宮に出て、とのみ思うてゐた。が、斯うして思ひがけぬ靜かな離れ島の樣な温泉などに來てみるとなか/\豫定通りに身體を動かすのが大儀になつてゐた。それにこの雨ではあるし、寧ろ嬉しい氣持で一日を遊んでしまふことに決心したのである。

 午前も眠り、午後も眠り、葉書一本書くのが辛くてゐるうちに夜となつた。雨は終日降り續いて、夜は一層ひどくなつた。客は他に三四人あつたらしいが、靜けさに變りはない。

 翌日も雨であつた。また滯在ときめる。旅費の方が餘程怪しくなつてゐるが、此處に遊んだ代りに瀞八丁の方を止してしまふことにした。午後は晴れた。釣竿を借りて庭さきから釣る。一向に釣れないが、二時間ほども倦きなかつた。澄んだ海の底を見詰めてゐると實に種々な魚が動いてゐるのだ。



 六月五日、また降つてゐた。
 でも、今日こそは立たうと思つてゐた。とろ八丁を止すついでに奈智の瀧も此處から見るだけに留めて置かうかとも思つたが、幾らか心殘りがあるので思ひ切つて出かける。船頭の爺さんに頼んで汽船から見て來た港口の島々の間の深く湛へたあたりを漕いで※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る。見れば見るほど、景色のすぐれた港だと思はれた。そして對岸の港町に上つて停車場へ行つた。雨が烈しいので、袴も羽織も手提も一切まとめて其處に預けて、勝浦新宮間に懸つてゐる輕便鐵道に乘り込んだ。間もなく二つ目の驛、奈智口といふので下車。

 雨はまるで土砂降に降つてゐた。幾ら覺悟はしてゐてもこれでは餘にひどいので少し小降になるまで待つてから出かけようと停車場前の宿屋に入つた。そして少し早いが晝食を註文してゐると、突然一人男が奧から馳け出して來て私の前に突つ立つた。その眼は妙に輝いて、聲まではずんでゐる。貴下あなたは東京の人だらう、と言ひながら頭の頂上てつぺんから爪先まで見上げ見下してゐる。何氣なく左樣だと答へると、何日にあちらを立つたと訊く。ありのままに答へると、さもこそと云はむばかりに獨り合點して更に何處から何處を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたかと愈々勢込んで來た。そのうちに奧からも勝手からもぞろぞろと家族らしいもの女中らしいものが出て來た。その上、先刻さつきから店さきに休んでゐた同じく奈智行らしい一行の人たちも立つてこちらを覗き込んで來た。私は何とも知れぬ氣味惡さを感じながら無作法に自分の前に突つ立つてまじ/\と顏を覗き込んでゐる痩せた、脊の高い、眼の險しい四十男を改めて見返さざるを得なかつた。そして簡單に京都大阪奈良と答へてゐると、急に途中を遮つて、高野山に登つたらうと言ふ。まことに息を逸ませてゐる。私はもう素直に返事するのが不快になつた。で、左樣さうだ、と言つた。實は其處には登る筈ではあつたが登らずに來たのであつた。それを聞くとその男は愈々安心したといふ風に、脊を延ばして初めて氣味の惡い微笑を漏らしながら、左樣さうでせう、確かに左樣だらうと思つた、サ、何卒どうぞお二階にお上り下さい、實は東京からあなたをたづねていらした方があるのです、と言ふ。今度は私の方で驚いた。そして思はず立ち上つた。

「え、誰だ、何といふんです、……僕は若山と云ふのだが。」
「へゝえ、誰方どなたですか、もう直ぐこれへ歸つておいでになりますで、……實はあなたを探して一先づ瀧の方へおいでになりましたので、もう直ぐこれへお歸りで御座いますから、まア、どうぞお二階へ。」
 といふ。

 この正月の事であつた、私は伊豆の東海岸を旅行して二日の夜に或る温泉場へ泊つた。すると、同じその夜、その土地の、同じ宿屋の、しかも私と襖一重距てた室へ私の友人の一人が泊り合せて、さうして二人ともそれを知らずに、翌日それ/″\分れ去つた事があつたのだ。この番頭らしい怪しき男の今までの話を聞いてゐて、端なく思ひ出したのはその事である。そして私がこの頃この熊野を通つて、奈智へ登るといふ事は東京あたりの親しい者の間には前から知れてゐた事實である。誰か氣まぐれに後から追つて來て、今日それが此處を通つたかも知れぬといふ事はあながちに否定すべき譯に行かなかつた。まして此場の異常に緊張した光景は確かにそれを思はするに充分であつた。

「え、誰です、何といふ男が來ました?」
 あれかこれかと私は逸速くさうした事をしさうな友人を二三心に浮べながら、もう眼の前にそれらの一人の笑ひ崩るる顏を見る樣な心躍りを感じて問ひ詰めた。

 今度は相手の方がすつかり落ち着いてしまつた。を作つて好奇の眼を輝かせてゐる女中や家族や客人たちをさも得意げに見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して、兎に角此處では何だから二階にあがれ、と繰返しながら、一段聲を落して、
「東京では皆さんがえらく御心配で、ことに御袋樣などはたとへ何千圓何萬圓かかつてもあなたを探し出す樣にといふわけだ相で……」
 と言ひ出した。

 此處まで聞いて私は再びまた呆氣にとられた。何とも言へぬ苦笑を覺えながら、
「さうか、それでは違ふよ、僕は東京者には東京者だが、そんな者ぢアない、人違ひだ。」
 と馬鹿々々しいやら、また何かひどくがつかりした樣な氣持にもなつて再び其處へ腰掛けやうとすると、なか/\承知しない。

「いえもうそれは種々な御事情もおありで御座いませうが、……實は高野山から貴下のお出しになつた葉書で、てつきりこちらへおいでになる事も解つてゐましたので、ちやんともうその人相書まで手前の方には解つてゐますので……」
「ナニ、人相書、それなら直ぐその男かどうかといふ事は解りさうなものぢアないか。」
「それがそつくり貴下と符合致しますので、もうお召物の柄まで同じなのですから、……兎に角お二階で暫くお待ち下さいまし、瀧の方へおいでになつた方々にも固く御約束をしておいた事ですから此處でお留め申さないと手前の手落になります樣なわけで……」

 私はもうその男に返事をするのを見合せた。そして其處へ來て立つてゐる女中らしいのに、
「オイ、如何した飯は、酒は?」
 と言ふと、彼等は惶てて顏を見合せた。先刻さつきからの騷ぎでまだ何の用意にもかかつてゐないのだ。

「ええ、どうぞ御酒でもおあがりになりながら、ゆつくり二階でお待ち下さいます樣に……」
 と、その男はつひに私の手を取つた。

 先刻さつきからむづ/\し切つてゐた私の肝癩玉はたうとう破裂した。
「馬鹿するな、違ふ。」
 と、言ふなり私は洋傘かうもりを掴んで其處を飛び出した。そしてじやア/\降つてゐる雨の中を大股に歩き始めた。軒下まで飛んでは出たが流石にその男も其處から追つて來る事はしなかつた。

 幸に私の歩き出した道は奈智行の道であつた。何しろ恐しい雨である。熊野路一帶は海岸から急に聳え立つた嶮山のために大洋の氣を受けて常に雨が多いのださうだが、今日の雨はまた別だ。幾らも歩かないうちに全身びしよ/\に濡れてしまつた。先刻からの肝癪で夢中で急いではゐるものの、程なく疲れた。そして今度は抑へ難い馬鹿々々しさ、心細さが身に浸み込んで來た。矢張り來るのではなかつた、赤島の温泉場から遠望しておくだけに留めておけばよかつた、斯んな状態で瀧を見たからとて何になるものぞ、いつそ此處からでも引返さうか、などとまで思はれて來た。赤島で三晩ほど休んでゐる間に幾らか身體の疲勞もれて來た。この調子で奈智へ登つて、其處の山上にあるといふ宿屋に籠つて青葉の中の瀧を見てゐたら、それこそどんなに靜かな心地になれるだらう、それでこそ遙々出て來た今度の旅の難有さも出るといふものだ、と種々な可懷しい空想を抱いて雨の中を出かけて來たのだが、まだ山にかかりもせぬ前から先刻の樣な騷ぎに出會つて、靜かな心も落ちついた氣分もあつたものではなかつたのである。半分は泣く樣な氣持でわけもなく歩いてゐると、後から馬車が來た。そして馬車屋が身近くやつて來て乘れと勸める。何處行きだと訊くと奈智の瀧のツイ下まで行くといふ。直ぐ幌を上げて乘り込むと驚いた。先刻の宿屋に休んでゐた三人連の一行が其處に乘り込んでゐたのだ。

 向うでは前から私だと知つてゐたらしく、お互ひにそれらしい顏を見合せて默り込んだ。平常いつもならば私も挨拶の一つ位ゐはする所であるが、彼等の好奇に動く顏を見るとまた不愉快がこみ上げて來て目禮一つせず、默つたまま、隅の方に腰を下した。四方とも黒い油紙で包み上げた馬車の中は不氣味な位ゐ暗かつた。そして泥田の樣な道を辿つてゐるので、その動搖は想像のほかであつた。四五丁も行つたと思ふころ、馬車屋が前面の御者臺の小さなガラス窓から振返つて私あてに聲をかけた。この降るなかをお詣りかと訊くのだ。奈智と云へば私は唯だとしか聯想しなかつたが、其處には熊野 夫須美 ふすみ 神社といふ官幣か國幣の大きな神社があり、西國三十三ヶ所第一の札所である青岸渡寺とい古刹もあるのである。併し、御者のわざ/\斯う訊いたのは決して言葉通りの意味でないことを私は直ぐ感じた。此奴、驛前の宿屋で聞いて來たナ、と思ひながら 慳貪けんどんに、
「イヤ、瀧だ。」
 と答へた。

「瀧ですか、瀧は斯んな日は危う御座んすよ。」
 と言ふ。にや/\してゐる顏がその背後うしろから見える樣だ。

 暫く沈默が續くと、今度は私と向ひ合ひに乘つてゐる福々しい老人が話しかけた。このお山は初めてか、といふ樣なことから、今日は何處から來たか、お山から何處へ行くかといふ樣な事だ。言葉短かにそれに返事をしてゐると、他の二人も談話の中に加はつて來た。これは老人とは違つた、見るからに下卑た中年の夫婦者である。私はよく/\の事でなければ返事をせず、一切默り込むことにしてゐた。すると次第に彼等同志だけで話がはずんで來て、後には御者もその仲間に入つた。多くは瀧が主題で、この近來どうも瀧に飛ぶ者が多くて、そのため村では大迷惑をしてゐる、瀧壺の深さが十三尋もあつて、しかもその中は洞になつてゐると見え、一度飛んだ者は決して死骸が浮んで來ない、所詮駄目だと解つてはゐるものの村ではどうしても其儘そのまま捨てておくわけにゆかぬ、村の青年會は此頃殆んどその用事のみに働いてゐる位ゐだ、して斯ういふ田植時にでも飛び込まれやうものならそれこそ泣顏なきづらに蜂だ、といふ風のことをわざとらしい高聲で話してゐるのだ。續いて近頃飛んだそれぞれの人の話が出た。大阪の藝者とその情夫、和歌山の呉服屋、これはまた何のつもりで飛んだか、附近の某村の漁師、とそれ/″\自殺の理由などまで語り出される頃は馬車の内外とも少からぬ緊張を帶びて來た。今まで私と同じくただ默つて聞いてゐた老人まで極めて眞面目な顏をして斯ういふ事を言ひ出した、人が自分から死ぬといふのは多くは魔にかれてやる事だ、だから見る人の眼で見るとさうした人の背後に隨いてゐる死靈の影がありありと解るものだ、と。

 私は次第に苦笑の心持から離れて氣味が惡くなつて來た。何だか私自身の側にその死神でも密著くつついてゐる樣で、雨に濡れた五體が今更にうす寒くなつて來た。をり/\私の顏をぬすみ見する人たちの眼にも今までと違つた眞劍さが見えて來た樣だ。濡れそぼたれて斯うして坐つてゐる男の影が彼等の眼にほんとにどう映つてゐるであらうと思ふと、私自身笑ふにも笑はれぬ氣がして來たのである。

 氣がつけば道は次第に登り坂になつてゐた。雨は幾らか小降りになつたが、心あての方角を望んでも唯だ眞白な雲が閉してゐるのみで、山の影すら仰がれない。小降りになつたを幸ひに出て來たのだらう、今まで氣のつかなかつた田植の人たちが其處等の段々田に澤山見えて來た。所によつては夏蜜柑の畑が見えて、黄色に染つた大きな果實が枝のさきに重さうに垂れてゐる。

 程なく馬車は停つた。やれ/\と思ひながら眞先きに飛び降りると、成程いかにも木深い山がツイ眼の前に聳えて居る。瀧の姿は見えないが、そのまま山に入り込んでゐる大きな道が正しくその方角についてゐるものと思はれたので、私は賃金を渡すと直ぐ大股に歩き始めた。すると、他の客の賃金を受取るのもそこ/\にして馬車屋が直ぐ私のあとに隨いて來た。

「何處へ行くんだ?」
 私は訊いた。
「へへえ、瀧まで御案内致します。」
「いいよ、僕は一人で行ける。」
「へへえ、でもこの雨で道がお危うございますから……」
「大丈夫だ、山道には馴れてる。」
「それでも……」
「オイ、隨いて來ても案内料は出さないよ。」
「いいえ、滅相な、案内料などは……」
 勝手にしろ、と私も諦めて其儘急いだ。が、たうとう埓もない事になつたと思ふと、もう山の姿も雲のたたずまひも眼には入らず、折角永年あこがれてゐたその山に來ても、半ば無意識に唯だ脚を急がせるのみであつた。

「見えます、彼處に。」
 馬車屋の聲に思はず首を上げて見ると、いかにも眞黒に茂つた山の間にその瀧が見えて來た。流石に大きい。落口は唯だ氷つた樣に眞白で、ややに水の動く樣が見え、下の方に行けば次第に廣くなつて霧の樣に煙つてゐる。われともなく私は感嘆の聲をあげた。そして側の馬車屋に初めて普通の、人間らしい聲をかけた。
「何丈あるとか云つたネ、あの高さは?」
「八十丈と云つてゐますが、實際は四十八丈だとか云ひます。」
「なアるほど、あいつに飛んだのでは骨も粉もなくなるわけだ。」
 言ひながら、私は大きな聲を出して笑つた、胸の透く樣な、眞實に何年ぶりかに笑ふ樣な氣持をしながら。

 その瀧の下に出るにはそれから十分とはかからなかつた。凄く轟く水の音をツイ頭の上に聞きながら深い暗い杉の木立の下を通ると、兩側に澤山大小の石が積み重ねてある。馬車屋はそれを指して、みな瀧に飛んだ人の供養のためだと云ふ。
「では一つ僕も積んで置くかナ。」
 また大きな聲で笑つたが、その聲はもう殆んど瀧のために奪はれてゐた。

 瀧を眞下から正面に見る樣な處に小屋がけがしてあつて、其處から仰ぐ樣になつてゐる。平常いつもは茶店なども出てゐるらしいが、今日は雨で誰も出てゐない。二三日來の雨で、瀧は夥しく増水してゐるのだ相だ。大粒の飛沫が冷かに颯々と面を撲つ。ぢいつと佇んで見上げてゐると、唯だ一面に白々と落ち下つてゐる樣で、實は團々になつた大きな水の塊が後から後からと重り合つて落ちて來てゐるのである。時には岩を裂く樣に鋭く近く、時には遠く渡つてゆく風の樣なその響に包まれながら、茫然見て居れば次第に山全體が動き出しても來る樣で、言ひ難い冷氣が身に傅はつて來る。

「これで、瀧壺まではまだ二丁からあります。」
 同じくぼんやりと側に添うて立つてゐた馬車屋はいふ。それを聞くと私の心には一つの惡戲氣が浮いて來た、私が其處まで行くとするとこの馬車屋奴はどうするであらうと。

 私は裾を高々と端折つて下駄を脱ぎ洋傘かうもりをも其處に置いて瀧壺の方へ岩道をぢ始めた。案の如く彼は一寸でも私の側から離れまいとして惶てて一緒にくつ着いて來た。苦笑しながら這ふ樣にして岩から岩を傳はらうとしたが、到底それは駄目であつた。殆んど其處等一帶が瀧の一部分を成してゐるかの如く烈しい飛沫が飛び散つて、それと共にともすれば岩から吹き落しさうにして風が渦卷いてゐるのである。それでも半分ほどは進んだが、たうとう諦めてまた引き返した。安心した樣な、當の外れたやうな顏をして馬車屋もまた隨いて來た。私はこの男が可哀相になつた。はつきり人違ひの事を知らせて、酒の一杯も飮ませてやらうなどと思ひながら、もとの所に戻つて來ると、先刻さつきの馬車の連中が丁度其處へやつて來た。お寺の方へ先に行く筈であつたが、私達が如何してゐるかを見るためにこちらを先にしたものかも知れぬ。驚いた樣に私達を見て笑つてゐる。私は再び彼等と一緒になる事を好まなかつたので、直ぐ其處を立ち去らうとした。そして馬車屋を呼んだが、彼は何か笑ひながら向うの連中と一緒になつてゐて一寸返事をしただけであつた。

 少し道に迷つたりして、やがてお寺のある方へ登つて行つた。何しろ腹は空いて五體は冷えてゐるので、お寺よりも宿屋の方が先であつた。その門口に立ちながら、一泊させて呉れと頼むと、其處の老婆は氣の毒さうな顏をして、此節はお客が少いのでお泊りの方は斷つてゐる、まだ日も高いしするからこれからまだ何處へでも行けませう、といふ。實は私自身強ひて泊る氣もくなつてゐた時なので、それもよからうと直ぐ思ひ直した。そして、それでは酒を一杯飮ませて呉れぬかといふと、お肴は何もないが酒ならば澤山あります、といひながらその仕度に立たうとして彼女は急に眼を輝かせた。
「旦那は東京の方ではありませんか?」

 オヤ/\と私は思つた。それでも既う諦めてゐるので從順に左樣さうだよと答へて店先へ腰を下した。
「それなら何卒お上り下さい、お二階が空いて居ります、瀧がよく見えます。」
 といふ。
 それも可からうと私は素直に濡れ汚れた足袋を脱いだ。その間にまた奧からも勝手からも二三の人が飛んで來た。

 二階に上ると、なるほど瀧は正面に眺められた。坂の中腹に建てられたその宿屋の下は小さい竹藪となつてゐて、藪からは深い杉の林が續き、それらの上に眞正面に眺められるのである。遠くなり近くなりするその響がいかにも親しく響いて、眞下で仰いだ姿よりもこの位ゐ離れて見る方が却つて美しく眺められた。切りそいだ樣な廣い岩層の斷崖に懸つてゐるので、その左右は深い森林となつてゐる。いつの間に湧いたのか、その森には細い雲が流れてゐた。

 がつかりした樣な氣持で座敷に身體を投げ出したが、寢てゐても瀧は見える。雲は見る/\うちに廣がつて、間もなく瀧をも斷崖をも宿の下の杉木立をも深々と包んでしまつた。瀧の響はそれと共に一層鮮かに聞えて來た。

 やがて酒が來た。襖の蔭から覗き見をする人の氣勢けはひなど、明らかに解つてゐたが、既うそんな事など氣にならぬほど、次第に私は心の落ち着くのを感じた。兎に角にこの宿屋だけはかねてから空想してゐた通りの位置にあつた。これで、今朝の事件さへ無かつたならば、どんなに滿足した一日が此處で送られる事だつたらうと、そぞろに愚痴まで出て來るのであつた。

 一杯々々と重ねてゐる間に、雲は斷えず眼前に動いて、瀧は見えては隱れ、消えてはあらはれてゐる。うつとりして窓にかけた肱のさきには雨だか霧だか、細々と來て濡れてゐるのである。心の靜かになつて來ると共に、私はどうもこのままこの宿を去るのが惜しくなつた。此儘此處に一夜でも過して行つたら初めてかねてからの奈智山らしい記憶を胸に殘して行くことが出來るであらう、今朝からのままでは餘りに悲慘である、などと思はれて來た。折から竹の葉に音を立てて降つて來た雨を口實に、宿の嫁らしい若い人に頼んでみた、特に今夜だけ泊りを許して貰へまいかと。案外に容易くその願ひは聞屆けられた。そして夕飯の時である、その嫁さんは私の給仕をしながらさも/\可笑し相に笑ひ出して、今日は旦那樣は大變な人違ひをせられておゐでになりました、御存じですか、と言ひ出した。

「ホ、人違ひといふ事がいよ/\解つたかネ、實はこれ/\だつたよ。」
 と朝からの事を話して笑ひながら、
「一體その人相書といふのはどんなのだね?」
 と訊くと、としは二十八歳で、けて見える方、(私は三十四歳だが、いつも三つ四つ若く見られる)身長五尺二寸(私は一寸二三分)、着物はセルのたて縞(丁度私もセルのたて縞を着てゐた)、五月六日に東京を(私は五月八日)出て暫く音信も斷え、行先も不明であつたが、先日高野山から手紙をよこし、これから紀州の方へ行つてみるつもりだといふ事と二度とはお目にかかれぬだらうといふ事とが認めてあつたのだ相だ。洋酒屋の息子とかで、家はかなり大きな店らしく、その手紙と共に大勢の追手が出て、その一隊が高野からあと/\と辿つて今日一度この山へ登つて來、諸所を調べた末一度下りて行つたが、驛前の宿屋で今朝の話を聞いて夕方また登つて來たのだ相である。

「旦那樣が御酒をお上りになつてる時、其處の襖の間から覗いて行つたのですよ。」
 といふ。
「兎に角ひどい目に會つたものだ。」
 と笑へば、
「何も慾と道づれですからネ。」
 といふ。

「え、……?」
 私がその言葉を不審がると、
「アラ、御存じないのですか、その人には五十圓の懸賞がついてゐるのですよ。」

末ちさく落ちゆく奈智の大瀧のそのすゑつかたに湧ける霧雲

白雲のかかればひびきうちそひて瀧ぞとどろくその雲がくり

とどろ/\落ち來る瀧をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかも

まなかひに奈智の大瀧かかれどもこころうつけてよそごとを思ふ

暮れゆけば墨のいろなす群山の折り合へる奧にその瀧かかる

夕闇の宿屋の欄干てすりいつしかに雨に濡れをり瀧見むと凭れば

起き出でて見る朝山にしめやかに小雨降りゐて瀧の眞白さ

朝凪の五百重いほへの山の靜けきにかかりて響く奈智の大瀧

雲のゆき速かなればおどろきて雲を見てゐき瀧のうへの雲を


 その翌日、山を降りて再び勝浦に出た。そしてその夜志摩の鳥羽に渡るべく汽船の待合所に行つて居ると、同じく汽船を待つらしい人で眼の合ふごとにお辭儀をする一人の男が居る。見知らぬ人なので、此處でもまた誰かと間違へてゐると思ひながら、やがて汽船に乘り込むとその人と同室になつた。船が港を出離れた頃、その人は酒の壜を提げていかにもきまりの惡さうなお辭儀をしい/\私の許へやつて來た。

 その人が、昨日の夕方、奈智の宿屋で襖の間から私を覗いて行つた人であつた。





底本:「若山牧水全集 第五卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年8月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kamille
校正:林 幸雄
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。


 若山牧水は大の酒好きでこの熊野の旅でもよく呑んでいます。
 若山牧水は普段から1日1升ほどの酒を呑んでいたそうで、熊野那智の旅から10年後の昭和3年(1928)年9月17日、43歳(かぞえだと44歳)で亡くなったとき、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話があるそうです。

(てつ)

2008.5. UP

◆ 参考文献・参考サイト

若山牧水『新編みなかみ紀行』岩波文庫

若山牧水 - Wikipedia

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