| ■ 熊野の本 | |||||||||||||
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◆ 丸山静『熊野考』せりか書房 |
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レビュアー:kokoroさん(2005.3.23 UP) 丸山静は、おもとして仏文系の人文思想に造詣の深い評論家として知られ、愛知大学の教授などをつとめていた。レヴィナスやクリステヴァの翻訳もあるが、とくにわが国へのデュメジル紹介に関しては中心的な役割を果たした1人である。近年、全巻の刊行が終わったちくま学芸文庫の『デュメジル・コレクション』は、著者が残した仕事を発展的に完成させたものだ。 本書は、「1 馬頭観音」「2」「3 小栗判官」の3つの章から成っており、「2」について丸山は、「久米の子たち」と題して完成させる構想をもっていたが、著者の急逝によりこれは実現しなかった。ちなみに「2」は、彼が生前に発表していた小論の中から、この構想に関連するものを集めてある。 「1 馬頭観音」は、西郷信綱による王権神話の祭式起源説(王権神話は大嘗祭等の皇室儀礼の起源を説明する機能を有している、という説)を批判しながら、神話の中の熊野を著者なりに探索している。 生前の丸山は登山が好きだったと言う。また、「1馬頭観音」「2」を読むと、熊野に限らず著者が、じつによく日本中のさまざまな地域を自分の足で歩いていることに気付かされる。そうして、実はこうした丸山のフィジカルさは、その思想とも深く関わっている。というのも、彼による西郷の祭式起源説批判はまさにそこから開始されるからだ。「この地上をどこまでも歩くことである。西郷の神話学からみれば、熊野は、単に「儀礼」的に「通過」すべき「熊々しい未開の蛮地」であるかもしれないが、私にとっては、それは、これから足で歩いてなにかを発見しなければならぬところだ。(p47)」丸山にとって、神武東征の舞台である熊野とは、何よりも、神武たちがじっさいにその足で踏みしめて進んでいった実在の山野なのである。 「1 馬頭観音」「2」については、次のことも言っておきたい。浜の宮王子を訪れた丸山は、そこで「丹敷戸畔命」「三狐神(柳田国男の『石神問答』によれば、ミシャグチ神のこと。)」と彫られた笠のついた石碑のようなものに出会う。彼はそこからある論考を開始し、それはやがて本書のもっとも重要なテーマの1つに結びつくのだが、通常の歴史学者とは違うこのような態度 ── 歴史から忘れ去られたような石碑などに着目し、そこから大きな問題を呼び込む態度 ── はユニークであり、共感を感じる。また、著者の民族学等に対する知識は該博であるが、ことにその中から事例を引き出すセンスには力量を感じさせられた。 だが、私が本書でもっとも感銘を受けたのは、「3 小栗判官」であった。ここは推理小説的な興味でも読めるため、これから読む読者のために内容には触れない。ただこの章の中間あたり、「そこでまず、人喰馬、鬼毛馬の場面を考えてみよう。」という一文から始まるあざやかな解明の箇所で、中世期末の悲惨な生活に縛られた東国民衆の解放とその挫折のテーマが呼び覚まされる瞬間は感動した。『熊野考』はユニークな書物であり、類書などはあまりないとおもうが、ここの部分にはバフチーンを連想させられた。 内容以外では、2つの印象が脳裏に残っている。1つはどちらかという粘液質な文体で書かれていて、読むのに骨が折れたことだ。少なくとも、論旨がスカッと抜けていって、ぐいぐい読ませるという書かれ方はされていない。もう1つは、だがその反面、さほど厚い書物ではないのだが、読み終えたときはあたかも大冊を読了したかのように感じたことだ。おそらく詰め込まれた思考の密度の高さが、そのような錯覚をまねくのだろう。そうしてそんなふうにして読み終えた後で、次のような当然の問いが残る。いったい著者は、何を成し遂げるために、このように大がかりで手間のかかった評論を書いたのだろうか、と。 おもうに、熊野という土地の名は、神武東征いらい、平安期における熊野信仰の隆盛をはじめ、わが国の歴史や文化のさまざまな局面に姿を現わしてくる。熊野には、そのような古代からつづく重層的な記憶と、それを取り巻くきわめて美しい山河と海がある。 とっつきやすくなかったが、本書を読み通したのは私にとって忘れがたい読書体験でした。
丸山静さんの著作 訳書 フッサールとハイデガー
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* * * 吉本隆明が書いた『熊野考』の書評は『言葉の沃野へ 書評集 上 日本篇』に収められています。
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