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◆ 日神社(にちじんじゃ)  和歌山県西牟婁郡白浜町十九渕312  十九淵:紀伊続風土記(現代語訳)


天照大御神を祀る日神社

 
 和歌山県白浜町十九渕、富田川沿いにある日神社。

日神社鳥居

 鳥居の前は国道42号線。

日神社拝殿拝殿

日神社本殿本殿

 以下、境内の案内板より。

 県指定文化財
建造物 日神社本殿 一棟
    一間社隅木入春日造軒唐破風附檜皮葺 附棟札八枚

 社伝によれば、日神社は、仁安2年(1167)吉田少将範秀が伊勢神宮の分霊を奉斎したのにはじまるといわれます。
 現在の本殿は、様式手法からみて、江戸時代後期に再建されたもので、紅梁頭貫ばな支輪等、随所に地方色の強い彫刻を施しており、この地方にすぐれた技術者のいたことが知られます。

 

 町指定文化財
建造物 日神社 摂社 若宮神社 一間社隅木入春日造檜皮葺
    日神社 摂社 稲荷神社 一間社隅木入春日造檜皮葺
    日神社 厳島神社    一間社流造銅板葺

 若宮神社、稲荷神社は小規模な春日造神社であり、構造形式はごく一般的なものであります。雲気をはく龍の庇木鼻、笈型を大きくおく背面の妻飾りは立派なもので、本殿の脇をかためるには恥のない意匠をみせています。建造期は、本殿より少し下がって18世紀中期から後期ごろのものとみられます。
 厳島神社は小規模な一間社流造で、千鳥破風、軒唐破風を付けてややはでに見せていますが、細部の意匠はごくおとなしいつくりです。絵様などをみますと、建立年代は本殿とそう変わらない時期と推定されます。

 古くは若一王子権現社と呼ばれました。 『紀伊続風土記』の十九淵村の項には以下のように記されています(現代語訳てつ)。

若一王子権現社  境内山周16町
 摂社 住吉社
 末社3社 若宮・稲荷社・弁財天社
 拝殿
小名伊勢谷にある。荘中朝来帰・堅田の2村を除いた12村の産土神である。社殿は壮麗で、境内も広い。相伝して熊野本宮第四の宮天照大御神を勧請したという。ゆえにこの地を伊勢谷という。この地は古は熊野神領であったのだろう。古は祭日に田楽舞流鏑馬などもあったが、今は絶えてしまったという。文亀元年、元亀3年、文禄5年などの棟札がある。神主を吉田大和といって吉田範秀の後裔だという。社僧1人、禰宜2人がいる。

    別当  海門寺 倉谷山
  太子堂  鐘楼  僧坊
社の境内にある。真言宗古義京仁和寺末である。末寺3ヶ寺が村中にある。

津波警告板

 境内には県指定の有形民俗文化財の「津波警告板」の説明板が立てられています。以下説明板より。

県指定 有形民俗文化財
津波警告板

(昭和40(1965)年9月20日指定)

 宝永4(1707)年10月4日の正午に、紀南地方を襲った宝永地震による被害をもっとも正確に記してる資料である。この地震は今日強く注意を呼びかけられている南海地震、東南海地震、東海地震が同時に起こったものと考えられており、歴史上最大規模の地震ともいわれる。縦33.6cm、横60.6cm、厚さ2.1cmの欅の板の墨書されている。これは高瀬村(現 白浜町富田)の村民が自分たちの体験を草堂寺中興第三世松岩令貞和尚に依頼し書いてもらったものである。

 この警告板はもともと飛鳥神社へ奉納されていたものであるが、明治42(1909)年10月の神社合祀の際に現在の日神社へ移管されたものだと考えられる。

 

(表面)要約文

 宝永4年(1707)年丁亥夏6月大きさ1寸から1寸余の害虫が無数に発生して稲を喰い荒らし、農民は大変憂慮したが、翌月になると退散した。同年冬10月4日(陽暦10月28日)午の刻(正午頃)大地震が起こり、ゆれること1時間ばかり、大地山河破裂し民屋人家が倒壊破損した。その物凄さは天柱が折れ地軸がくだけるようで、老若男女は天地が傾覆するかと思い、精神が迷乱して死生を知る者は1人も無い。そのような時に海上にわかに鳴りどよめいて白浪が天をつく勢いで山を崩し地をうがった。

 このような時に人々は地震津波の襲来を聞いて驚き騒ぎ、気も魂も身にそわず、はだしで直に小倉山や飛鳥山に逃げ上り身命を全うし、あるいは途中で大波にただよい流され半死半生で山に着き、幸いにして死を免れる者、あるいは家財に心を寄せ家を出ることおくれ濁浪に溺れ没する者百数十人を出した。富田のうち、高瀬、伊勢谷、溝端高井吉田中村、西野(才野)は1軒残らず流出してたちまちにして野原となった。嗚呼、前業のためであるのか、それとも天運のためか、天災とはいいながら前代未聞の珍事である。後代もし大地震があったら必ず津波高潮が来襲するものと知り、早く覚悟して油断してはならない。後人の警めとするため地震津波の状況を記しておくものである。

    宝永四年十月記し了る也。

右飛鳥宮の裡に納め置く。毎歳祭礼の節中見聞すべし。

 

(裏面)要約文

 表書之通往古も有之様聞伝候へ共、此辺諸寺諸社相在記録も無之、世人々逃申事及平滞命失ひ申人々も多く有之候に付、板を削、草堂寺西塔大和尚様を御頼申、如斯書記、当社に申候。
 毎年御祭礼之節皆々見聞罷成、大地震せは津波入来海と心得、無無断むすの山へ揚り可申事。

一 御祭礼社投御幣捧申県覚、寛文延宝の此又右衛門、次に又左門、次に五郎衛門、次に又右衛門、次に五郎左衛門、次に佐太夫、次に由□、元文申より又右衛門。

日神社遠景

 富田川を挟んだ川向かいから。

日神社遠景

 ◆ 参考文献

紀伊続風土記 』臨川書店

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2011.1.11 UP
2012.10.24 更新

 

 


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