■ 熊野の観光名所 |
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◆ 七越の峰(ななこしのみね) 和歌山県田辺市本宮町 |
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本宮町名勝八景のひとつ。 上の写真は七越の峰から本宮方面を見た眺めです。
最初の熊野川を渡る橋「備崎(そなえざき)橋」を渡って、対岸へ。
標高262m。大峰山より数えて七つめの峰にあたるといわれ、 そこから七越の峰と呼ばれるようになったと伝えられています。
光を重ねたように月が冴えわたっている七越の峯であることよ。
七越の峯は熊野本宮大社旧社地の東方すぐ近くにある山なので、 夜、本宮に参拝した折に詠んだ歌だと取るのが素直な読み方だと私は思っています。 本宮では、いったん昼間、音無川を徒渉し、足下を濡らして宝前に額づいた後、 夜になってあらためて参拝奉幣するのが作法でした。
熊野から吉野まで連なる大峰山系は、役の行者が開いたとされる修験道の根本道場であり、 大峰山系の南端である熊野は中世、修験道の一大中心地でした。
よりよき霊地を求めた修験者が大峰の山中に分け入り、 南へと南へと進み、熊野への道が開かれたものと思われます。 温暖多雨で植生豊かな熊野の陰鬱な照葉樹林に修験者達たちはおそらく濃い霊気を感じたのでしょう。 次第に修験者たちが熊野に集まるようになり、中世には熊野が修験道の一大中心地になりました。
奥駈け道の道中には「七十五靡(なびき)」といわれる75ケ所の行場が設けられています。 その靡の一番は熊野本宮の証誠殿です。 本宮が大峰奥駈けの出発点であり、七越の峰の麓には山伏の宿坊が建ち並んでいたといいます。
遅れて大峰に入った真言宗の醍醐寺三宝院系(当山派)の山伏が行いました。 熊野から吉野へ駆けるやり方は、順峯(じゅんぶ)といい、 もともと熊野を支配し、大峰奥駈けを先に始めていた天台宗の 園城寺・聖護院系(本山派)の山伏が行っていました。
逆峯が一般的な大峰奥駈けのやり方になっています。 近世以降、紀州藩の宗教政策によって熊野三山が神道化し、熊野修験が衰退してしまったのが原因です。 近世以降は天台・真言の両派とも大峰には吉野から入るのが一般的になってしまいました。
![]() 本宮大社旧社地から見る七越の峰
七越の峰はとても眺望のよい場所です。 『ほんまもん』では、病院から行方をくらました山中一路を捜していたイギリス人学者のウィリアムが
(てつ) 2002.2.9 UP
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