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◆ 水野家墓所(みずのけぼしょ)  和歌山県新宮市


新宮領主の水野家歴代の墓所

 紀州徳川家の付家老で新宮領主の水野家歴代の墓所が、和歌山県立新宮高校の正面にあります。
 新宮領主とその親族の墓碑16基が並んでいます。

水野家墓所

水野家墓所

「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されています。

 以下、境内の説明板より。

国指定史跡(新宮城跡附指定)

水野家墓所の由来

  指定年月日 平成十五(2003)年八月二十七日

 近世紀州藩新宮領主水野家の墓所。

 元和五年(1619)、徳川家康のいとこの水野重仲(しげなか)が、徳川御三家の紀州藩主頼宣のお守り役として赴任し、新宮城(三万五千石)を治めた。以降、水野氏は紀州藩江戸詰の付家老として、新宮城を中心に明治初年まで十代にわたり政治を行った。

 当地に墓所が築かれたのは、初代城主の重仲が□去してまもなくのようである。重仲の本□地は和歌山市直川だが、その菩提寺全正寺の過去帳には、元和七年(1621)十一月に全正寺で大葬し新宮橋本に納骨とあるように、この地に分骨を納めて水野家の墓所としたのであろう。その後、歴代城主や婦人の墓碑が順次建てられたが、ここに本葬されているのは、江戸時代においては第九代城主の忠央(ただなか)だけである。

 自然林におおわれた墓所の入口左側には、一間四方の不動堂があり、また、石階段を登ると墓碑十六基が参道に面して並ぶ。これらの墓碑はほぼ同じ形で石質は熊野産の黒雲母花崗斑岩である。

 つきあたりには『水野家累世之霊塔』が建つ。

 近世の歴代城主の墓碑がまとまった形で現存している貴重な史跡であり、新宮の政治・文化を理解するうえでも大切な墓所である。

新宮市教育委員会

水野家墓所

 入口に不動堂があります。

水野家墓所

 緩やかな石段を登っていきます。

水野家墓所

水野家墓所

水野家墓所

水野家墓所

 正面いちばん奥に建つのが水野家累世之霊塔。

水野家墓所

 自然林に覆われたたたずまいがいい感じです。

≪新宮城主十代≫
初 代 水野重仲(しげなか)
第二代   重良(しげよし)
第三代   重上(しげたか) 
第四代   重期(しげとき)
第五代   忠昭(ただあき)
第六代   忠興(ただおき)
第七代   忠奇(ただより)
第八代   忠啓(ただあき)
第九代   忠央(ただなか)
第十代   忠幹(ただもと)

第十代城主の忠幹の長男で、八甲田雪中行軍遭難事件で26歳の若さで亡くなった水野忠宜(ただのぶ)の墓碑も。

 ◆ 参考文献

 

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2012.11.29 UP

 

 


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