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雑賀孫一の墓(さいかまごいちのはか)

 三重県熊野市有馬町 口有馬村:紀伊続風土記(現代語訳)

戦国時代最強の傭兵集団の頭目、雑賀孫一の墓

雑賀孫一の墓

 戦国時代、紀州雑賀(さいか)に、日本最強を誇った傭兵集団、雑賀衆(さいかしゅう)がありました。
 雑賀衆は「雑賀を制する者全国を制す」といわれるほどに高い戦闘能力を誇った鉄砲集団であり、織田信長最大の敵として食い下がりました。

 その雑賀衆の頭目が雑賀孫一(さいかまごいち。孫市とも)であり、その墓だとされるものが熊野市有馬町にあります。

雑賀孫一の墓

 雑賀孫一の生涯は謎に包まれていますが、関ヶ原で西軍に付き、その敗戦後、この地に逃れ、ひっそりと隠れ棲み、生涯を終えたとここでは伝えられています。

雑賀孫一の墓

 雑賀孫一は鈴木姓であり、熊野は鈴木姓発祥の地。また雑賀孫一の家紋は八咫烏紋八咫烏は熊野の神使です。雑賀孫一は縁故を頼ってこの地で隠遁することになったのでしょうか。

 この墓は国道42号線沿い海岸側、花の窟から新宮方面へおよそ1kmくらいの所、有馬バス停立石バス停の間にあります。熊野市有馬町で国道42号線沿い海岸側に墓地が見えたら、それがそうです。

雑賀孫一の墓

 雑賀孫一ファンの方、熊野にお越しの際にはぜひこの雑賀孫一終焉の地と伝わるこのお墓にお参りください。

雑賀孫一の墓
左手から

雑賀孫一の墓

雑賀孫一の墓
裏へ回ると、また墓地

雑賀孫一の墓
裏手の海(七里御浜

雑賀孫一の墓
裏手の海(七里御浜)

(てつ)

2005.12.7 UP
2020.7.8 更新
2022.2.3 更新

参考文献

雑賀孫一の墓へ

アクセス:JR有井駅から徒歩5分
駐車場:駐車場なし

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