明治四十一年の一村一社令で、その年の十二月二十六日村内各地区にあった四社をここに合祀し、北山神社として長い間村民の崇敬と安泰への願いを一つに集めていた。
祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)、穂屋姫命(ほやひめのみこと)、護良親王(もりながしんのう)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、建速素戔鳴男命(たけはやすさのおのみこと)、奇稲田比売命(くしいなだひめのみこと)であった。しかし昭和二十一年、旧に復し勝手神社となり、高倉下命、穂屋姫命、護良親王の三神を祀るようになった。
高倉下命は神武東征の際、神のおつげで授かった「韴霊(ふつのみたま)」の神剣を神武天皇に貢じて、赫赫たる偉勲を立てたという神話の主である。高倉下命は紀伊の民族の誇りであるが、知恵と武勇の神として祭られている。
穂屋姫命は高倉下命の姫であった。
護良親王(一三〇八〜一三三五)は後醍醐天皇の第三皇子で、出家して尊雲と称し天台座主をつとめた。還俗して倒幕を計り、諸国に令旨(手紙)を発して建武新政を招来(竹原八郎はこのときの受勲者の一人であった)した。征夷大将軍に任じられたが、のちに足利尊氏のためにおわれた。
御神体として神社の右傍に大杉の大木が見えるが、吉野杉の象徴そのものである。 |