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◆ 芳養八幡神社(はやはちまんじんじゃ)  和歌山県田辺市中芳養803  林村:紀伊続風土記(現代語訳)


京都石清水八幡宮より勧請された古社

 芳養谷一帯は平安時代以降、京都の石清水八幡宮の荘園であり、石清水八幡宮から勧請されたのがこの芳養八幡宮。中芳養、上芳養の旧8ヶ村の氏神です。
 祭神は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。この神を八幡神として崇敬しています。

芳養八幡神社鳥居

 車で境内まで行くことができます。

芳養八幡神社拝殿

 境内にある由緒書きより。

八幡神社

御祭神 誉田別尊(応神天皇)、玉依姫命、息長足姫命(神功皇后)

沿革 
(1) 正応2年(1289)以前の芳養川沿域は、下芳養4ヶ村の八王子社、中芳養4ヶ村の八島社、上芳養4ヶ村の日向社が産土神であった。

(2) 後三条天皇延久4年の太政官牒(当時の官報)に芳養荘は京都石清水八幡宮の荘園になったのは村上天皇2年(約1000年前)なりと記されているように、当時の芳養川沿域は楠本家(当宮の社家)を荘司とし石清水八幡宮を本所とする寄進荘園であった。

(3) 正応3年より石清水八幡宮は別当寺(鷲峯寺)を派遣し、石清水八幡宮の別官として紀南を直接差配した。再来、中芳養、上芳養8ヶ村は芳養八幡宮を氏神と奉斎し、近郷近在各層の信仰を集め、室町時代、当地方の豪族湯川氏も「神領5町3反や月々の神事料を寄付し、本社、末社、十二社等を造営した」とあり、また「社僧寺、末社寺等、6ヶ寺あり」と紀伊続風土記にも記されている。

(4) 歴代領主も深く崇敬し、神田、御供料の寄進相継ぎ、境内界石は東西4丁、南北3丁半に及んだと言われ、当時の壮大な神域、荘厳な社殿等、うかがい知る事が出来る。

(5) しかし天正13年(1585)豊臣秀吉の兵火により全焼し、天正18年再建されるも、その間御神体は難を避けて八幡宮の東北、竜仙山に渡り坐された。

(6) その後、浅野左衛門及び安藤直次の度重なる御供米、神殿の御造営、紀州藩主頼宣公の参詣時の境内殺生禁止の御証文の下附(1724)、安永9年(1779)の領主安藤直時の絵馬(繋馬)の献上等々、世に有名である。

(7) かくして往古より藩主、領主をはじめ多くの人々の崇敬になる本神社も明治初年(1868)の神仏分離による別当寺の撤去、明治32年社殿大修復、明治43年、上、中芳養の各神社の遷座合祀等がありて今日に至るも往時の盛観を失ってしまった。

御例祭
 7月15日ー夏祭
 11月3日ー秋祭(流鏑馬、駆馬等あり)
 12月5日ー弁天祭(その他十数度の恒例祭あり)

   鎮座地 田辺市中芳養803番地

芳養八幡神社境内

芳養八幡神社境内

 境内には馬の像が2体あり、黒い馬は「願馬」と呼ばれ、白い馬は「神鳩・神馬」と呼ばれます。

秀吉の紀州攻めで御神体は竜仙山へ

 白い馬の向こうの鳥居の奥には龍神社があります。
 天正13年の豊臣秀吉の紀州攻めにより全焼し再建されるまで御神体が竜仙山に渡り坐されたいきさつについては龍神社の鳥居前の説明板に記されています。

心願祈願の龍神社

 当神社の古記録(享保10年 (1725))の田辺領在郷神社改帳によると、
天正年中(天正13年(1585) 豊臣秀吉の紀州平定の紀南争乱)当八幡宮も弘安7年(1284) 以来、再度の戦禍で、炎上のとき、当宮より白鳩2羽が飛び去り、はるか東の龍山(現龍神山)の山上(標高549.2メートル)に止まるのを見た。附近の子女が「その山上に早速社殿を造れば、天地に誓って平和になる」とわめき廻った。ときに戦災後でもあり、氏子民は心を合わせて翌14年に当八幡宮の分社を造営し、東方の守護とした。その子女はその社の巫女となり、80余歳まで、平和祈願の神事に奉仕したと、あり、山上には、今も社殿があって「八幡の壇」といわれている。

 この度人々の厄除開運・心願成就等を祈請し、御社殿や境内等改修の上、東方の守護神として龍神社を奉祀申し上げた。

  ※古くから四方の守護神はすなわち四神は、東方、青龍神。西方、白虎神。南方、朱雀神。北方、玄武神である。

馬祭

芳養八幡神社境内

 石段を下った前方には馬場があり、11月3日の秋祭では流鏑馬(やぶさめ)や駆け馬、八幡神勧請を模した神輿渡御神事が行われます。芳養八幡神社の秋祭りは「馬祭」とも呼ばれます。

 境内にある文化財の説明板より。

芳養八幡神社の指定文化財

芳養八幡神社の秋祭(県指定・民俗文化財)
 中・上芳養8ヶ村の総産土神の秋祭りは現在11月2日が宵宮で3日が本祭りである。
 芳養の海岸まで行列を組み、奉仕の馬や氏子の潮垢離が執行され、帰社して馬場見せの行事がある。本祭りの朝、陣屋かための神事、四方祓、流鏑馬、古風を留める神輿渡御、馬駆け神事等、壮麗であり、馬子唄は古い情趣を留める。
   指定 平成2年4月18日

弘和4年 楠本守行譲状写し(市指定・有形文化財)
 正平15年(1360)楠本二郎守行が石清水八幡宮から芳養八幡宮の祝師職に任ぜられたが、弘和4年(1384)先祖相伝の所領の一部を嫡子兵衛太郎に譲り渡した証状写しで、分割相続の形式を示す好史料で名田の存在なども知られる。
   指定 昭和49年1月29日

芳養八幡神社の森(市指定・天然記念物)
 コジイを優先種として優れた自然林で、市内唯一のイチイガシの巨木が育成している。
 ヤマモガシ、ヤマビワ、ミミズバイ、ツルコウジ、ホソバカナワラビなどで構成される「イチイガシ林」の形態を示し、田辺市近辺の丘陵地として、今にその姿を留めている。
   指定 平成3年3月6日

 (てつ)

2010.9.5 UP
2010.9.17 更新

 ◆ 参考文献・参考サイト

和歌山県高等学校社会科研究協会『和歌山県の歴史散歩』山川出版社
くまの文庫3『熊野中辺路 伝説(下)』熊野中辺路刊行会

田辺探訪 芳養八幡神社

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駐車場:駐車場あり
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