| ■ 熊野入門 | ||||||
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★ 熊野詣とは何? |
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熊野詣(くまのもうで)とは、紀伊半島南部、熊野にある、本宮(ほんぐう)・新宮(しんぐう)・那智(なち)の熊野三山を参詣することです。 平安時代後期以降の浄土信仰の広がりのもと、本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は千手観音を本地(本体)とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。 熊野は辺境の山岳地帯にあるので道案内が必要とされ、その道案内を修験者がつとめました。この道案内人を先達(せんだつ)と呼びましたが、先達は道案内だけでなく、道中の作法の指導も行いました。 精進潔斎の生活は道中でも当然、続けなければなりません。また、先達の指導のもとに、祓(はらえ)や、海辺や川辺での垢離(こり。冷水を浴びて身心を清めること)、王子社での奉幣などの儀礼も行われました。 また、妄語や綺語、悪口、二枚舌など道理に背く言葉は厳禁で、忌詞を用いることにより妄語などを戒めました。 ●仏→サトリ ●経→アヤマキ ●寺→ハホウ ●堂→ハチス ●香炉→シホカマ ●怒り→ナタム ●打擲→ナヲス ●病→クモリ ●血→アセ ●啼く→カンスル ●死→カネニナル ●葬→ヲクル ●卒塔婆→ツノキ ●墓→コケムシ ●米→ハララ ●男→サヲ ●女→イタ ●尼→ヒツソキ or ソキ ●法師→ソキ など。 熊野詣の道をゆく者はこのような言葉の言い換えを義務づけられました。そのため、道者は自分の口から出る言葉に注意を払わねばならず、自然、妄語も慎むようになったのでしょう。 先達の指導と道案内のもと、人々は、出発の際に先達から与えられた杖をついて、一歩一歩、熊野へと歩みを進めていきます。 そのための場所が岩田川(今の富田川の中流域)でした。岩田川は、中世の熊野詣のメインルート中辺路(なかへち)を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている川です。 その聖なる流れは強力な浄化力をもち、川を徒歩で渡ることで罪業をぬぐいさることができるとされました。道者は浄められながら死ぬことができました。 儀礼的な意味で死んだ道者は、いよいよ熊野の霊域の入り口とされる滝尻に入ります。 熊野道者はその人の資質に応じ、下品下生の人は下品下生の鳥居をくぐることで浄土に入り、上品上生の人は上品上生の鳥居をくぐることで浄土に入ることができます。九品すべてに対応した鳥居があるので、道者はいずれかの鳥居で浄土に入ることができるという仕組みです。 9つの鳥居をくぐって浄土入りを果たした道者は、熊野本宮まであと2時間ほどという場所まで来て、今度は、本宮の聖域の入り口とされた「発心門」と呼ばれる大鳥居とをくぐります。 金剛杖は四角に削られていて、その四つの面は「発心門・修行門・菩提門・涅槃門」という4つの門を表わしているそうです。 発心門王子で、今まで使っていた杖を献納し、発心門・修行門・菩提門・涅槃門の四門が表わされた金剛杖を渡されたのは、これから道者が発心門・修行門・菩提門・涅槃門の四門をくぐり、成仏を遂げるのだということを現わしているのでしょう。 新しい金剛杖をついて、道者は本宮へと足を進めます。 中洲にある本宮へ入るには、音無川を徒歩で渡らなければなりません。 本宮を詣でたあとは熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮に詣で、新宮からは再び徒歩で海岸線沿いを辿り、それから那智川に沿って那智に登っていきました。 岩田川を渡ることで死に、九品の鳥居をくぐることで浄土に生まれ変わり、発心門をくぐり、発心門王子で金剛杖をいただいて本宮を詣でることで成仏する。 ですから、熊野三山の社殿に参詣することはもちろん大切なことなのですが、それ以上に熊野に到るまでの精進潔斎して歩く道中の日々が大切なのだという気がします。 (てつ) 2003.1.27 UP ◆ 参考文献
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